市川博物館友の会 イベント情報

イベント情報

友の会の直近のイベント情報(緑色のイベント)をお知らせします。
ご関心のある方は、友の会へお問い合わせください。

また、直近の終了したイベント(青色のイベント欄)の様子をページの下部に記載してあります。ご関心のある方はご覧ください。

拓本部会 野外採拓 
「北区・金剛寺」
5月10日(日)

( 内 容 )
  東京都北区の金剛寺一帯は、隣接する桜の飛鳥山公園に対して、江戸時代から紅葉の名所として知られ、 「紅葉寺」として親しまれている。寺伝によると、本尊の不動明王像は、弘法大師・空海作と伝わっている。 また、源頼朝公が布陣した折、堂宇を建立したとも云われている。 境内には今でも大学歯学部の学生たちが来訪される、文政2年(1819)建立・窪世祥刻「?歯誌碑(歯を?(うずめる)の誌)」や、 江戸から明治・昭和に活躍した文人たちの狂歌碑、富士講歌碑、川柳歌碑等が10数基建立されており内容・筆跡を楽しむことが出来ます。  
( 日 時 )  5月10日(日) 8:00〜14:00
( 集合場所)  JR市川駅改札口付近
( 参加費 )  会員700円 一般1,000円(採拓謝礼・採拓紙代)
( 持ち物 )  作製した墨を入れるタッパー等の容器(直径12cmくらいの物) 
( 人 数 )  15名 (希望者多数の場合は抽選)
( 申し込み)募集は終了しました

( 連絡先 )   市川博物館友の会 090−9231−4383

※ショートメッセージ(SMS)で問合せ内容を送信していただけると助かります。

歴史部会 勉強会 
「『函館戦争』はなぜ起きた!」
7月12日(日)

( 内 容 )
  江戸時代末期の「鳥羽・伏見の戦い」から始まった戊辰戦争は、新政府軍(官軍)と旧幕府軍が関東、 東北そして北海道まで戦争の範囲を広げた激しい戦いでした。「戊辰戦争」最後の戦いといわれる「箱館戦争」は、 明治元年(1868年)10月20日、榎本武揚率いる旧幕府艦隊が北海道南部の地「蝦夷地・鷲ノ木」(現森町)の浜に上陸した時から始まりました。 冬の気象条件の中での厳しく、激しい戦いでした。旧幕府軍の将兵らは、なぜ江戸を脱走し北へ向かったのか。 そして最後の戦いの場に蝦夷地・箱館(函館)を選んだのは何故なのか。 当時の歴史情勢や各地で起きた戦いとの関連も探りながら「箱館戦争」の〈深層〉に近づきたいと思います。
( 日 時 )  7月12日(日) 14:00〜15:30
( 場 所 )  市川歴史博物館2階講堂
( 参加費)  会員300円 一般400円(資料代)
( 持ち物 )  筆記用具、飲み物
( 募集人数 )  40名
( 申し込み ) 往復葉書(1人1枚)に、「函館戦争」、住所・氏名(ふりがな)・会員番号・年齢・電話番号・返信宛先を書き、
〒272-0837 市川市堀之内2-27-1 市川歴史博物館宛 6月22日(月)必着

( 連絡先 )   市川博物館友の会 090−9231−4383

※ショートメッセージ(SMS)可

拓本部会 「初心者講習会」
令和 8年4/26実施

  参加者18名
  今回は嬉しいことに初心者の方の参加が8名ありました。時間が9時30分〜12時00分と限られているために、 墨は事前に作り置きし、タンポ作り・採拓練習の時間に重点をおきました。 尚、タンポ作りに使用する綿は、幹事の方が自分の畑で育てた木綿綿を使用させて頂きました。 種を取り除くのに苦労しましたが、良い経験になりました。
採拓実習に入りますと、紙の裏表の見方、霧吹きによる湿らせ具合、紙の伸ばし方、刷毛の持ち方、タンポの打ち方等、 経験者が順に指導に当たりました。その結果初心者の方も、一人3〜4枚採拓することが出来ました。 タンポを打ち込んで字がきれいに浮かび上がって来た時の感動の喜びが、場の雰囲気を一層和ませてくれました。

「 友の会第52回総会・講演会 」
令和 8年4/19実施

  ◇総会◇ 参加者26名
  第52回総会は、I副会長の司会で開会しました。来賓挨拶は、この度4月1日付けで市川市教育振興部文化財課考古・歴史博物館長に就任された増田浩子様より、 友の会に対する励ましとご支援のご挨拶をいただきました。議長に選出された会長の進行により、K副会長が令和7年度行事報告を、会計担当が令和7年度会計報告を行いました。 会計監査委員による会計監査報告があり、いずれも承認されました。引き続き令和8年度行事計画案、会計予算案が提案され、承認されました。最後に新役員が選出され、令和8年度の新体制が整いました。
  これまで友の会の運営に長らく携わり、特に40周年記念展を主導されたY相談役が退きました。相談役は副会長を務めながら、考古・歴史・民俗と造詣が幅広いことから3部会を先導されてきました。 また、歴史副部会長が、交通事故の後遺症のため運営に携わるのが困難なことから、役員ならびに友の会も辞しました。 誠に残念ですが氏の歴史部会に対する思いや理念が引き継がれるのを期待します。また、長らく会計業務を担ってこられたS氏が会計担当を退きました。同じく会計監査役を担ってこられたH氏が役員を退きました。 長い間のお努めに感謝を申し上げます。新役員になられた方々に申し上げますが、あまり気張らずに頑張りすぎないようにお願いします。

  ◇講演会◇
  演題 「博物館と収蔵庫〜資料を後世に残すために〜」
    講師 福島千尋 歴史博物館学芸員
    博物館法における、「博物館」の目的から講演がはじまりました。大学の講義を受けている ようだが、改めて、今日の博物館が「教育普及」「展示」に偏重し、 「収集・保管」に力を注げない現状が伝わりました。本市の歴史博物館も開館から40年を超え、有限スペースである収蔵庫は資料がいっぱいであり、寄贈のお話をいただいても、 スペースの関係でお断りせざるを得ない「収蔵庫問題」に直面していることが熱い思いとともに伝わります。収蔵庫問題が可視化された具体例が3点あげられました。
     @北栄みらい伝承館の例(2018年8月) 収蔵品の民具562点の処分または希望者への譲渡を前提に「お別れ展示」を開催し、473点を譲渡した。
     A国立科学博物館の例(2023年8月〜11月) 「地球の宝を守れ 国立科学博物館500万点のコレクションを次世代へ」という題名で、クラウドファンディングを開始し、 最終的に9億円以上が集まった。収蔵資料の保管そのほか運営基盤に関わるクラファンは初めて。
     B奈良県立民俗博物館の例(2024年7月) 収蔵資料数は4万点を超えており、奈良県知事の2024年7月定例記者会見において資料の廃棄について言及があった。  この会見を受けて、日本民具学会が「民具(有形民俗文化財)の廃棄問題に対する声明」を出しており、資料全体を把握(目録化)した上での検討や価値づけが不十分なままに、 安易な一括廃棄が行われようとしていることに対し、日本民具学会として大きな懸念と危機感を表明している。
   【市川市では】  市川歴史博物館でも、これまでのデータ引継ぎ整理および棚の高さ調整ができないなど施設面の不備などで、この収蔵庫問題は大きな課題となっていました。 福島学芸員が正規職員となった令和6年度から収蔵庫民俗資料等整理作業事業を開始。國學院大學観光まちづくり学部を中心とした大学生と協働することで大規模な作業が可能となり、 成果報告展示『見つめなおす、市川の宝物』の開催するに至りました。これに依り、「来館者が博物館資料を」「学芸員が収蔵資料を」「市が博物館を」見つめなおすことにつながったとの、成果が報告されました。
  講演の最後に拍手が贈られましたが、講演に対することはもちろん、埃まみれになって一万点もの資料と対峙された学芸員、大学生への感謝の拍手でもありました。 詳細は博物館館報に収録されているので、歴史博物館の図書コーナーに立ち寄って手に取ってください。無料です。 今後、われわれの目に触れることのなかった資料に出会えることが楽しみです。 また、将来的にはデジタルミュージアムが実現することを期待しています。

「 友の会50周年記念展 」
部会別総括 R8.3.7〜3.28

  ◆歴史部会◆
  歴史部会のテーマは、「下総国府」でした。メインの展示は「下総国分僧寺伽藍ジオラマ」の展示です。 下総国分僧寺伽藍ジオラマの制作を、寺岡宏氏(市川市民、紙工芸家)に依頼しました。 50周年記念展への企画から完成までにはほぼ3年の歳月を要したものです。 古代の荘厳華麗な下総国分僧寺の伽藍と七重の塔が、精巧な200分の1の縮尺で、全て紙細工で作られました。 来場者の注目を集め、また地域新聞「市川浦安よみうり」(2026.3.21)の一面に大きく取り上げられ話題となりました。 また、この国分僧寺・七重の塔ジオラマが、考古博物館の展示に加わる検討が進められており、実現する日が期待されます。 その他の下総国府関連の歴史説明パネルと地図・写真・発掘関連パネルなどの展示を行いました。 メンバーが協力して作成しました。古代下総「井上駅」の絵は、副部会長夫人が絵筆を振るいました。 展示期間中、メンバーは交代で説明を担当しましたが、来場者との歴史談義を加えたコミュニケーションが盛り上がりました。

  ◆考古部会◆
  考古部会では、「市川の縄文時代」をサブテーマとして、@顔はめパネル「遮光器土偶のシャコちゃん」の作成、A市内にある国指定史跡である3貝塚の紹介とポイントラリー、 B会員の作成した「土器・土偶・石器」の展示に取り組みました。 シャコちゃんについては、部会メンバーが手描きしたものを拡大し、印刷会社と話し合う中で縄文人男女を背景に重ねていただきました。 また、設置場所を展示会場の入り口にしたことで、週末に博物館を訪れた小さなお子さんが踏み台に乗って写メする愛らしい様子も見られ、 記念展会場に足を向けていただくきっかけになってくれました。 3つの貝塚の紹介については、史跡を紹介するパネル展示の前に足を留め、じっくりと読み込んでいただく方の姿が見られたほか、 当番の解説に耳を傾けていただく方が多くいらっしゃいました。史跡の2か所を巡った方にプレゼント (拓本部会の皆様のご協力の下、縄文土器片の拓本を表装したミニ色紙)を準備したのですが、期間中にクリアされる方がいなかったため、 今後の活動の中で活用してまいりたいと思います。また、曽谷貝塚、姥山貝塚については、市民の理解と活用を図るためにも近隣に駐車場が整備されることを期待したいところです。 土器・土偶・石器の展示については、制作過程のパネルも展示、見学者からは「かわいい」「本物かと思った」「作ってみたい」等の声をいただくことができました。 例年開催している土器・土偶づくりを多くの方に体験していただくことを契機に、友の会の活動に興味を持っていただくことで、今後の会員の増加につながればと願っています。

  ◆民俗部会◆
  民俗部会は、部会のメンバーが4名であったこともあり、50周年の企画内容を選定し実際に動くまでに約2年を要しました。 2024年の終わり頃、市川市の無形民俗文化財として「行徳の神輿文化と祭礼」が指定されたことが後押しして、テーマを「神輿」にすることになりました。 市川市の民俗的文化財は北部に 「にらめっこオビシャ」、中部には 「辻切り」、そして南部に 「神輿」と出揃ったといえます。
  友の会で初めての「神輿」をテーマにした研鑽が始まりました。 先ずは、行徳の中台製作所の社長 中台洋 さんの会社へ直接皆で会いに行き、 友の会の記念展への取組みを理解して頂き、協力をお願いしました。 中台さんは常に好意的に前向きに私達の取り組みにご協力下さいました。昨年7月には、 勉強会「神輿を学ぼう」を実施しました。約30人の聴衆を集め、「神輿とは何か」等の基本を確認しました。 また神輿の歴史、市内の神輿のある神社の調査等を実施して、展示するパネルや資料の写真を準備しました。   最終的には、中台製作所から有料で子ども神輿一基を記念展中の終日借用し、実物の神輿を展示することができました。 また神輿渡御の衣装や子ども神輿の衣装なども飾り、華やかさを欠かさない展示ケースが整えられました。 期間中には中台洋氏の講演会も企画し、神輿の解体を実演しながらの本物の神輿の造りや実際を教えてもらえました。 今回の取り組みは、市川市内の北部地域と南部地域の文化理解や交流を進める契機になったと確信しています。

  ◆拓本部会◆
拓本の良さや価値は一般的に分かりにくい所が多々あります。今回の50周年記念展によって、それが見学者の方々に少しでもご理解頂ければ幸いです。 実際来場者からは素朴な質問をたくさん頂きました。拓本の墨の作り方、紙の種類(画仙紙・美濃紙・宇陀紙)、刷毛の種類等に興味を持っておられる方もおられましたので、 友の会への入会を勧めました。
  私達の市川市内には、神社・仏閣に多くの石碑があります。歌碑・句碑・顕彰碑・庚申塔等その種類は様々ですが、それらの石碑は、多くの意味が有って彫られ建立されています。 今回の展示は、中国文人の作品の他、戦前から日本と関わりがあり、市川市と中国楽山市が友好都市の要因となった、故郭沫若氏の「別須和田」碑、市内の石碑を中心にして会員の作品を展示させて頂きました。   拓本は、中国文化の流れを汲むもので、日本にも奈良時代から、書をはじめとして、墨の芸術が育ち、東洋が生み出した文化の一つです。しかし、拓本は、筆で書かれた墨色とは違い、 陽刻や陰刻によって文字や文様が織りなす白と黒の調和は、見方によっては変化し、時には、絵画以上の色彩を感じる事もあります。本企画展でその魅力が伝わったことを願っています。

「 友の会50周年記念展 」
令和 8年3/7〜3/28実施

  50周年記念展が3月7日 (土) から28日 (土) までの3週間にわたって開催されました。 これも会員の皆様、並びに役員の皆様のご協力によるものです。感謝申し上げます。また、開催にあたり、 博物館の学芸員の皆様をはじめとした職員の皆様には大変なご協力をいただきました。この場をお 借りして御礼申し上げます。 元会員、会員の友人、ジオラマの記事を見て、ネットで気になって、歩こう会の途中に立ち寄り、昔の展示を見に来たら展示が変わっていた等、 様々な方に観覧いただ きました。各部会の報告は次号に掲載させていただくこととして、 今号では、観覧いただいた皆様からのアンケートの概要を掲載させていただきます。

◇アンケート回答数=46名  (会員=5名、一般=37名 不明=4名)
○性 別 男性=27名、女性=19名
○年 代 ・小学生=2名 ・20代=1名 ・30代=1名 ・40代=4名 ・50代=7名  ・60代 =8名 ・70代=17名 ・80代以上=6名
○居 所 市内=34名、 市外=11名、 不明=1名
  〈市外内訳:・都内2 ・松戸3 ・船橋2 ・浦安1 ・流山1〉
○満足度 @満足=43名(93.5%) A普通=2名(4.3%) B不満=0名(0.0%)  C不明= 1名( 2.2%)《縄文フェスティバルとの混同と思われるもの、うち3点》
◇回答してくださった方は70代が最も多いが、観覧者数の実態に沿うものと思われます。
◇感想の主なもの
 ・考古部会 縄文土器・土偶に興味をひかれた・土偶づくり楽しそう!   
 ・歴史部会 下総国分僧寺のジオラマはすばらしかった・国庁、国分寺のイメージがよく分かった。   
 ・民俗部会 神輿に興味をひかれた ・辻切りのへびを作ってみたい。
 ・拓本部会 拓本をとれば読めることがわかった。道具の種類にびっくり。  
 ・各部門とも素晴らしい作品で驚きました。係の方が親切に解説してくださり、よくわかりました。  
 ・この部屋の物、全てが心惹かれ説明をしていただくことができまして、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
  最後になりますが、「50の歴史の重みがわかる。活動の50年の歴史ですね。これからも末永く続くことを祈っています」との、応援のメッセージもいただきました。

友の会創立50周年記念 民俗部会講演会 
『神輿の発展について』
令和 8年3/15実施

参加者26名(内、会員19名)
     講師 中台製作所 代表 中台洋氏
  友の会50周年の記念講演会は伝統の行徳神輿を一貫製作している中台製作所の代表 中台洋氏 をお迎えしました。先ず、市川市の指定無形文化財の一つとなった「行徳の神輿文化と祭礼」から、 「神輿」そのものの理解として、@神輿の歴史と中台製作所の成り立ち A製品と製品化の過程お よび特徴の数々を実際の神輿を解体したり組み立てたり、漆塗りの過程や製品グレードのサンプル を触らせて頂いたりと、実演をとり混ぜながらのお話しをいただきました。
   また、北海道や浦安市の実例を参考に、神輿という素材、神輿を渡御する祭礼そのものを継承し ていくことが、 地域の絆を結ぶ有力な契機になる事を実感されているというお話をお聞きしました。 講演終了後には、参加者から熱心な質問も出されました。  民俗部会のページに講演の様子と写真を載せています。

市川考古博物館・友の会共催講演会 
『「日本考古学」における有史時代と瓦』
令和 8年3/29実施

講師 山路 直充氏 市川考古博物館学芸員
     令和7年度末で考古博物館を退職される山路直充学芸員にご登壇いただき、 考古博物館学芸員としては最後となるご講演をしていただきました。
 歴史博物館の2階から駐車場を望むと桜の花が満開に近づく様子がうかがえ、におうがごとくの春模様の中、 62名もの参加者があり、講堂の後方に椅子を追加で並べるほどの盛況となりました。いつもの軽快なお 話とは違い、考古学における基本的な考え方について、山路先生が日ごろお考えになっている思いをお話しいただきました。   普段何気なく使っている考古学の時代区分について、
・文字のない「先史」・文字の少ない「原史」・文 字の多く使われた「有史」と分ける考え方がある。 人類の歴史と「有史時代」が混同してされて使用される傾向があること。 市川市においても「考古博物館」と「歴史博物館」と呼び分けている。(歴史の中に 考古も含まれると考えれば不思議な名称と思われました)
 友の会「お知らせ」3月号で掲載された行事案内に「文字が多く使われた時代、有史(歴史)時代は飛 鳥時代以降とされますが、 遺跡や遺物の解釈に文献資料を多く用いることから、 「卑怯な考古学」などと いわれたこともありました」ということに関して、山路先生のお話を伺って、そのような考えは正される べきとの感想を得ました。  
有史時代の画期を考古学の遺構と遺物から考える指標となるものは、「瓦」である。 瓦はその出現から 現在まで利用され続けていることから、有史時代の画期と瓦との関係が例示されました。
 ・「寺」 飛鳥寺  有史時代の始まりであり「総瓦葺き」が出現する。
 ・「宮殿」 推古天皇の小墾田宮 律令国家の始まりであり、やがて藤原宮の大極殿へと発展する  官衙の中心的な建物は「コの字」型の配列で政を行う正殿である大極殿は総瓦葺き  (ただし、内裏(天皇の居住空間)は檜皮葺で大棟だけ瓦を葺く)
 ・「大極殿の消失」 後白河院政以後、大極殿は再建されず、御所で政が行われる
 ・「城」 安土城(岐阜城) 信長は瓦葺きの天主を築き、軒先瓦には金箔が施された   以後の城も天守が引き継がれ、豊臣政権では金箔瓦を大名との関係進化の指標とした
 ・「江戸城」 家康は天守を銅瓦葺きとし、徳川政権はこの銅瓦葺きを推奨した。      駿河城天守・名古屋城天守・大阪城天守・日光大猷院廟・日光東照宮・日光輪王寺ほか (京都御所も銅板葺きとされたが、後年、檜皮葺に変更される)
 ・「天守の終焉」 廃城令「全国城郭ノ処分並兵営地等撰定方」により存城・廃城の決定 廃藩置県の断行により幕藩体制の終焉  
 古代から近世までの時代の画期、権力の象徴としての政庁の瓦葺きが出現する時期と符合する。 その後、近代以後では国会議事堂のスレート葺きにも話が及び、明治期には大極殿や朝堂院の配列を模した政庁の計画が頓挫したことにも触れていただいた。
講演後に、言いたいことを言ってすっきりしたとの笑顔に山路先生のお人柄を見る思いがいたしました。  お忙しいところご準備いただきましてありがとうございました。

拓本部会  
「 表装 」
令和 7年9/28、10/19、11/3、11/24、12/7、
令和8年1/12、2/15、2/23実施

参加者 各回 7〜10名
     当初、7回目は2月11日に実施する予定でしたが、2月8日が衆議院選挙となり、第4回役員 会が2月11日に変更されたため、表装作業は2月15日に変更し、8回の実施にしました。
参加者は、各回7〜10名で、各自がこれまで室内あるいは野外で採拓した作品の表装に取り組 みました。初めての方もおられましたが、参加者皆で教えあい、和やかな雰囲気の中で実施するこ とができました。また、考古部会の方が土器の採拓を行われ、指導や協力もしました。同時に50 周年展の展示の準備を行いました。

歴史部会 勉強会 
「行徳の塩づくり」
令和 8年1/18実施

参加者32名(内、会員25名)
     行徳の塩づくりは、「痕跡」を手がかりにして市川行徳の深い地域理解を目的としました。 パワーポイント資料によりスライドを多く用いながら理解を深めてもらうことでした。出席者は行徳地区をはじめ、 行徳地区以外にも多くみられ、行徳塩に興味や関心を持ってもらえるよう企画しました。       勉強会の進め方として、前半は、行徳塩田の歴史、行徳塩田の特色、行徳塩業と瀬戸内の十州塩業 との違いを中心に説明を行い、後半は、行徳塩業の痕跡をスライドを見てもらうことにしました。確 かに塩田の痕跡はありませんが、 塩田だったという痕跡がひっそりと残されています。過去の人々の 暮らしや活動の履歴が痕跡としてあります。現在でも、本塩、塩焼、塩浜、加藤新田といった製塩と 関わりの深い地名が残っています。本行徳の塩蔵(倉庫)、 行徳街道の塩問屋(旧家)なども残され ています。他にも痕跡が埋もれているかもしれません。
      アンケート結果から、行徳塩は「知る人ぞ知る」といった、あまり認知度は高くないことが分かり ました。勉強会の満足度は70%くらいでしたが、内容の理解度は、「よく理解できた」「理解でき た」を合わせて90%以上でした。 講義終了後には多くの質問が寄せられたこともあり、行徳塩の関 心と理解が深まったのではないかと思いました。
      また行徳塩業に関しては、市川歴史博物館に常設展示されており、行徳塩の製造や道具などを見学することができます。 さらに行徳塩は100年ぶりに復活するかもしれません。期待を抱きながら、 今後は行徳塩の痕跡を探る企画も面白いのではないかと思っています。

友の会新春講演会 
「縄文時代の塩づくりー実見と実験からみる考古学ー」
令和8年1/11実施

参加者32名(内、会員31名)
     「縄文時代の塩づくり」と言うと聞きなれない方が多いのではないでしょうか。講師をされた考古 博物館学芸員の岡本樹先生は、「縄文時代における塩づくり」を研究テーマにし、早稲田大学史学会、 世界考古学会議、海洋考古学に研究論文を発表されてきました。
  縄文時代終わりごろの縄文時代晩期(3,000年程前)と呼ばれる時代から、 専用の道具を使った塩づくりが、現在の市川市でも行われていたと考えられています。その専用の道具とは、「製塩土器」  と呼ばれる道具で、おもに海水を煮詰めたり、海水やできた塩の運搬などに使われていました。 しかし、その作られた塩自体の痕跡が今日まで残ることは、ほとんどありませんでした。 それではどのようにして、その「製塩土器」による塩づくりが行われていたとわかるのでしょうか?  実際に遺物を観察する「実見」と、その観察から分析資料を作り、行う「実験」を行った内容について、岡本講師により、  東北・関東地方の製塩土器を写真で照会しつつ、実施してきた実験について詳しくお話しされました。
 公演終了後、質問や意見が参加者から多数寄せられました。

民俗部会 見学会 
「深川七福神めぐり」
令和8年1/3実施

参加者45名(内、会員27名)
    正月恒例の七福神巡り、本年は深川を廻った。近年七福神巡りの人気が上昇している。 朝早くから巡り始めてもお参りの列が時間ごとに伸び、最終地点の七番目の福神を巡る頃は渋滞となってしまう
 深川は市川からも比較的近く、最も混雑する富岡八幡から北上するルートを選ぶ工夫をした。結果はスムーズな参拝ができたと言えよう。    実は前日の夜、珍しくぼたん雪が降り積もった。市川は雪景色となったが心配は杞憂であり、3日は日本晴れ、東京の淡雪は溶けて消えていた。 御目出度い景色で最初に立ち寄った深川不動尊は、正月用の特別参拝順序になっていて参加者を混乱させご迷惑をおかけした。 のっけから申し訳なかったが、初参加の方から不動尊等下町の文化や伝統に触れる経験ができたといわれた。江戸の下町の街並みや雰囲気の残る商店街や橋などを歩いて七神をめぐり12時前に解散することができた。 アンケートでは82%が満足、希望は説明や解説をしてほしい、健康であればまた参加したい等のご意見をいただいた。

民俗部会 勉強会 
「利根川圖志と城跡めぐり」
令和7年12/14実施

参加者33名(内、会員23名)
     『利根川圖志』は、江戸時代後期の安政5年(1858)、下総国相馬郡布川村(現・茨城県北相馬 郡利根町布川)の医師・赤松宗旦によって出版された地誌です。本書で紹介されている地域は、利根 川中流の「房川(ぼうせん)の渡し中田関所」から利根川河口の銚子浦に至る利根川流域で、各地の仏 閣・名所・旧跡・物産・詩歌・発句などとともに28ヶ所の城跡が紹介されています。このうち遺構 が現存する城跡は22ヶ所に限られていますが、いずれは消滅が危惧される城跡も少なくありません。 勉強会では貴重な文化遺産である22ヶ所の城跡とその歴史を紹介するとともに、宗旦の生涯や『利 根川圖志』を執筆するに当って書籍・資料だけでは足りない情報を補うために行なった取材旅行の様 子を本埜村龍腹寺村(現・印西市竜腹寺)の豪農・海老原家に残る『海老原善兵衛代々記録』を例に 学びました。なお宗旦は『利根川圖志』出版後も続編の執筆を続けていたと考えられますが、志半ば の文久年2(1862)、56歳で歿しています。
     勉強会後のアンケートでは31名の方から貴重なご意見が寄せられ、 「史料が充実しており内容が 豊富だった」「新しい知識を得ることが出来て満足した」 「現地調査した報告で実感が大きかった」 などご賛同いただく多くのご意見が寄せられた一方、 「資料の多さに比べて時間が短かった」とのご意見も寄せられました。皆様からいただいた様々なご意見は、今後の勉強会活動に向けて大きな励ま しとなりました。 これからも身近なテーマを取り上げ、有意義な勉強会を企画してまいりますので大 いにご期待いただきたいと思います。

考古部会(市川考古博物館と共催) 
「土器・土偶をつくろう」
令和7年11/2・9・16、12/7実施

参加者22名(内、会員15名)
     縄文時代の火焔型土器や土偶は、国宝に指定されていますが、縄目模様や装飾の表現が独特で魅力的なことから世界的に評価されています。 1週目は市川考古博物館の領塚学芸員による基礎知識を学んだ後、用土づくりを行いました。粘土は、市販の野焼き用粘土2sに山砂と在庫の自然粘土500gずつを混ぜ合せて練り上げました。 2週目は会員作成の土器や土偶を参考に形づくりを行いました。  3週目は磨きをかけ、充分に乾燥を経た12月7日に焼きあげを行いました。今回は粘土のコシが良く、 形づくりが思うようにできたとの声が参加者から寄せられました。 また、天候にも恵まれ、1点も破裂することがなく無事に焼きあげを終えることができました。 市販の粘土だけでは、形づくりや野焼きの焼きあげが困難であることから、在庫の自然粘土に助けられたのを痛感しました。ただし、来年度用の自然粘土は底を突いている状況であることから、 どこかで、自然粘土を入手することができないかが、一番の課題になっています。

  
四部会合同バス見学会 
「風土記の丘・伊能忠敬記念館を訪ねる」
令和7年11/30実施
考古部会のページに写真等掲載しています

参加者47名(会員38名・一般7名・学芸員 2名)
     当日は好天に恵まれ、市川公民館前をほぼ予定どおり8時頃に出発しました。 車内にて会長からの挨拶のあと、資料に目を通していただき、酒々井パーキングでの休憩後、 考古博物館学芸員の山路先生から風土記の丘周辺について、浅間山古墳や岩屋古墳という古墳の時代から 龍角寺という仏教へと社会が移り変わっていく歴史的な価値の高さについてお話しいただきました。 また、歴史博物館学芸員の山岸先生からは、伊能忠敬の日本地図作成という功績のほか、その人となりについてもお話を伺うことができました。
     予定よりも早く龍角寺に到着し、ボランティアガイドの久保田様から「龍伝説・古墳群との関わり ・国指定文化財の銅造薬師如来坐像等」について詳しい説明を伺いました。 予定では、ガラス越しでの拝観でしたが、ご住職の特段のお計らいにより、収蔵される建物に立ち入らせていただき、県内で最も古い時代の仏像を直接拝観させていただくことができました。 この龍角寺の創設年について、最近更新されましたが、この年代を山路先生が決定されたということを伺い、改めて一同驚きが隠せません。
     岩屋古墳では、風土記の丘資料館の学芸員の先生が待機していただいており、全員での集合写真の撮影後、資料をもとにご説明いただき、特別に古墳の上に登らせていただきました。 かなり遠くからもこの古墳を見ることができることが実感として理解されました。古墳群最古と思われる埴輪が配列された101号墳、その他の古墳群を抜けて風土記の丘資料館へ。 風土記の丘資料館では浅間山古墳の巨大な石室のレプリカや官位を表す冠飾り等の出土品を見学するとともに、印旛沼周辺における古墳の時代から仏教の時代への変遷について理解することができました。
     房総のむらで持参した昼食をとった後、すぐに佐原に向けてバスは出発。香取神宮の脇を通り過ぎるとすぐに佐原の街へ到着。ここでは2班に分かれて見学しました。 佐原の木造の建物、土蔵、石造りのハイカラな建物を眺めつつ「伊能忠敬記念館」へ。とても丁寧でわかりやすい解説をしていただき、 忠敬の人生、名主としての功績、そして、非常に精密な地図の作成方法等について理解を深めることができました。 山車会館では、山車に乗せられた日本一の大人形の迫力と細やかな細工に目をみはるばかりでした。帰りに立ち寄った水の郷佐原はリニューアルされて、スムーズに買い物ができたおかげで、京葉道路の渋滞にもかかわらず、 定刻より15分程度の遅れで市川公民館前に到着することができました。
     帰路のバス内で記載していただいたアンケートによると、普通と回答された3名のほか、皆さん満足との回答をいただきました。特に、龍角寺と伊能忠敬記念館での解説が好評でした。 また、特別に御開帳いただいた銅造薬師如来坐像の拝観、岩屋古墳を登れたことなど、個人ではできない体験をすることができてよかったとの声もいただきました。今回は記載時間にゆとりがあったため、今後の希望も多数寄せられており、 次年度以後の参考とさせていただきたいと思います。コロナ以後、久しぶ  りのバス見学会でしたが、参加された皆さんのご協力により、無事に一日を過ごすことができましたことに感謝いたします。

歴史部会見学会 
「臼井城跡を訪ねる」
令和7年11/23実施

参加者延べ40名(内、会員32名)
    午前8:04に京成八幡駅を出発、8:37に京成臼井駅に到着した。参加者全員が、早くから集合場所に集まり、きっちりと受付・会計を済ませた。
    臼井駅前のシンボル楠の前にて、開会宣言と会長挨拶。歴史部会幹事の説明により、楠の由来を解説。まず駅の南側に行き、永禄9年(1566)、上杉謙信が臼井城を攻めた時の陣城跡を見学。 駅の北側の台地へ向かい、失われた稲荷台砦近くの公園、昔の風情が残る宿内砦跡を見学。次第に高台に登り、臼井城の堅固さが分かる。 長源寺、臼井宿跡を経て、坂道を登り臼井城のUの郭、Tの郭へ。 土橋、空堀、櫓跡、横矢掛など、中世城郭の縄張りの妙を見学。城内は紅葉の盛りで秋の景色が美しい。 城の端から、印旛沼を眺望する。印旛沼(かつては香取の海)に面して、舟運・陸運の要地にあることを知る。 ここで、上杉謙信の「進撃路に関する考察」の説明がある。記念の集合写真を撮る。
      臼井八景の一つ「城嶺夕照」の説明板を見て、周りの深堀をのぞきつつ、太田図書の碑へ。太田道灌・千葉自胤が文明11年(1479)に臼井城を攻めたが、大いに苦戦した。 辛うじて城は落ちたが、道灌の弟・図書助が討死した。 千葉氏の守護神・妙見を祀る星神社を見る。
       臼井中興の祖・臼井興胤が建立した菩提寺・円応寺へ。臼井八景の碑と作者の臼井信斎の墓。臼井家累代の墓。臼井興胤が幼少(竹若丸)の頃、竹若丸の命を助けた忠臣岩戸胤安の墓を見る。 寺域は きれいな苔が生えており、皆々静かに見学する。竹若丸の危機をいち早く岩戸胤安に通報したのが、 乳母の阿辰である。悲運の死を遂げた阿辰の墓が印旛沼を望見する芦原にある。ここで、12:00 頃となり、終了宣言。 長嶋茂雄氏の出身校・臼井小学校の前を通って、京成臼井駅へ。
      アンケートによると、9割を超える参加者が〈満足〉と回答され、女性の参加も多く「資料が詳しかった」 「説明が分かりやすかった」「中世の城への興味が増した」などの回答を得た。 今後の見学地の希望も書かれており、見学会や勉強会の企画の参考にしたい。

拓本部会勉強会 
『二つの石碑を読みながら「武士の館」を考える〜
中山勘解由家範、飯能の館を出て八王子城にて死す』
令和7年10/13実施

参加者延べ25名(内、会員22名)
     講師の川出優氏には毎年種々の角度から歴史をお教え下されております。 今回は「二つの石碑」を  読み解き戦国時代の終焉期の一端を難解な参考文献資料を紐解き、わかりやすく説明されました。 天正18年(1590)、北条氏小田原城落城はご存じの通りですが、個々の北条一門の滅亡については知る由もなく、 関心を持つこともなく齢を重ねてきました。斯様な時に今回の講演となり助かりました。 アンケート結果、全員が満足との感想を述べておられました。具体的には城郭史常識を見直す新視点の潮流を勉強出来た 八王子城と中山勘解由に興味を持っていたので大変有難かった=@現地に行き現場を視察されて資料作成されている 他の資料からの引用だけでなく、本人の感想も入った素晴らしい資料である∞今迄城のみに興味を持っていたが、館にも興味を持ちたい%凵Xの所見が有りました。 また、次回もよろしくご教授お願いしますのお声が多数ありました。

歴史部会見学会 
「市川・船橋戦争の史跡を訪ねる」
令和7年10/26実施

参加者延べ29名(内、会員27名)
     現地は街なかの平坦な道で駅にも近いということで、募集案内では「小雨決行。荒天中止」としていました。 天気予報は「小雨。降水量1ミリ」。前日の朝、実施することを決定、参加者に連絡しました。応募者は当初39名でしたが10名の辞退者があり、29名の参加となりました。 集合場所の市川市役所前を午前8時30分にスタートした時は小雨でしたが、その後すぐに止んで、結局傘を一度も差すことなく、予定通りに全行程を見学することが出来ました。 天気の神様に感謝、感謝です。
     前半は東昌寺や海神念仏堂などを訪れ、戊辰戦争最中の慶応4年(1868)、市川・船橋戦争で戦死した新政府軍の墓を見学しました。 どれも官費によって建てられ維持されてきた官修墳墓で立派な佇まいでした。海神念仏堂では新政府軍福岡藩小室彌四郎の墓前で、のちの政治家で教育者、 麻布学園などを創設した旧幕府軍撒兵隊第一大隊長の江原鋳三郎(素六)との死闘に思いを馳せました。
      後半は東光寺、了源寺、慈雲寺などを訪れ、この戦争で戦死し縁者や地域の住民によって建立された旧幕府軍撒兵隊士の墓を見学しました。 当時の民情は旧幕府軍に同情的で、彼らを「脱走さま」と呼んでいました。反幕府意識が強い中で、縁者や地域の住民が危険を承知で墓を建てて戦死者を弔い、 守ってきたことに心を打たれました。その墓も市川・船橋戦争から157年経った現在、墓石の半分が地中に埋もれていたり(東光寺)、判読困難なほど劣化していたり(了源寺)、 新しく建て替えられていたり(慈雲寺など)していました。見学会では、かつて戦火で多くの民家が被害に遭った市川・船橋の街道筋の町並みを歩き、 新政府軍佐土原藩の大砲で境内の全てが焼失した船橋大神宮の現在の姿などを見学しました。 徳川家康が鷹狩りのために作らせた東金御成街道の起点である西向地蔵尊や歴代の将軍が宿泊した船橋御殿跡、日本一小さい東照宮などを訪れ、12時30分、東照宮で現地解散となりました。
     アンケートは27名から回答があり(回収率93%)、地元の市川・船橋戦争の様子がよく分かった、なかなかひとりで行けない所に行けて楽しかった、 資料も詳しく説明も良かった、などの感想が多く寄せられ、「満足」が26名、「普通」が1名との評価で、概ね好評のうちに見学会を終えることが出来ました。

友の会勉強会 
「初級・中級古文書解読講座」
令和7年5月17日、6月7日・21日、7月5日、9月6日・20日、10月4日の各(土) 計7回 実施

参加者31名〜20名(内、会員27〜16名)
     今年度の「古文書解読講座」は、前半の4回を「初級古文書解読講座」にして、 初めて参加される方へ古文書に馴染めるようにし、これまで参加された方には、復習の意味で講座を実施しました。 9月からの後半は「中級古文書解読講座」にして、初級を学んだ方も読めるようなテキストを用意しました。
     市川市史編纂事業で近世文書の解読を担われた、大津早苗先生には、一昨年及び昨年に引き続き講師を担当していただいた。 勉強会で使用した古文書の初級は、「成田詣」及び「曽谷村明細帳」。 後半は、「大岡仁成碌」の「徳川天一坊」を題材にした古文書をテキストにして読み進めた。 とくに「徳川天一坊の起こりの事」は史実をさらにおどろおどろしく表現した内容で、読み進めるうちに寒気がするような内容だったことから、 アンケートで多くの方から好評をいただいた。「読み物としてもおもしろく、音読みするとリズムがでて楽しかった」とアンケートに書かれていました。 また、最初は講座に付いていくのが行くのが精一杯だったのが、読み慣れていくと楽しくなったと。近所にある道標が読めるようになったなどと好評をいただきました。 また機会がありましたら是非、再開して ほしいとの声がアンケートには多く寄せられました。
     三年間続いた古文書解読講座でしたが、大津先生が繁忙のため今回で終了いたしました。大津先生、 長い間ありがとうございました。(またの機会をお待ちしています)

民俗部会勉強会 
「神輿を学ぼう」
令和7年7/27実施

参加者延べ27名(内、会員21名)
    大暑の週ながら27名ほどが勉強会に参加された。うちマスコミ関係者1名が同席された。 「神輿を学ぼう」では各人の神輿を学ぶに対するイメージをお持ちだったろうと思われる。     民俗部会の50周年のテーマとはいえ「神輿は神様の乗り物である」とか「祭りの重要なアイテムのひとつである」と、 神様・祭りと民俗学的にもそもそも難しいテーマに触れざるを得ない。    あらかじめ配布したレジュメが40頁とあり、 各個は資料に目を通し静かに読み進めてくださっていた。 しかし慣れない講義,内容的にもテキストの半分もできなかったといえる。 テキストの棒読みに終わった感を与えた。最も手を付けなければならない「市川の神輿・行徳の神輿文化」へは触れることさえできなかった。 これは予想された事であった。「神輿を学ぼう」は、緒を付けただけだ。学びはこれから始まるから…。      しかし質問時間に有意義な問いが与えられ、学んだ内容から回答がスカッと出てきたことは光栄と しか言いようがない。
アンケートでは84%が満足。知らなかった初めて聞いた、第2弾もとのお声もあった。

博物館友の会 講演会
「民俗学について」
市川歴史博物館 福島千尋学芸員
  令和7年 6/15実施

参加者延べ31名(内、会員22名)
     今回の講演会は市川歴史博物館学芸員福島千尋先生に講師をお願いした。 民俗学とは抽象的でありなかなか理解しにくいものと思われるが、福島先生の説明により受講者は理解出来たのではないだろうか。
まず民俗学の定義から説明が始まった。辞書、辞典などではそれぞれ説明されているが、 まとめると「文字として記録に残されない民間伝承を採集して日本民族の本質を知ろうとする」ということである。 遠野物語で有名な柳田国男の分類によると、第一部「有形文化」、第二部「言語芸術」、第三部「心意現象」に分類されているが、 「(心意現象)・・これこそ我々の学問の目的であって、あとの「一部」と「二部」の二つは、謂わばこれを達するための、 途中の階段のように考えているのである」と結論付けている。
   市川市には大野町の駒形大神社で行われる「にらめっこおびしゃ」、 国府台の「辻切り」、令和6年に市川市制90周年に制定された「行徳の神輿文化と祭礼」の3件が市の民俗文化財に指定されているが、   その中で国府台の辻切について見学したことがあるので記してみたい。
 場所は里見公園の近くの天満宮で、1月17日に行われる。蛇の胴体は高い木の枝に懸けられた紐にしっぽを吊るし、藁で胴体を編んでいくものである。 また本殿の前では大蛇の頭を4体つくり、一昨年の大蛇を燃やした灰を詰めた目玉とビワの葉の耳を頭につけ胴体と合体させ、 出来上がった大蛇にはお神酒を飲ませ魂入れを行ってから国府台地区の入り口の4か所の木に疫病や悪いものが入らないよう括るのである。
 以前、見学者には甘酒をふるまわれたことがあった。また毎年国府台小学校の4年生の児童が郷土の伝統文化を見学にきていた。
 「にらめっこおびしゃ」は、にらめっこをして相手が笑うと大盃に盛った酒を飲むのが行事のメインと思っていたが、 その年の当番の人が次の当番の人の背中にメモを入れるのが習わしであるとのこと。 市川市の民俗学研究者である本山桂川 (もとやまけいせん)については友の会の40周年記念展で民俗部会が葛飾八幡宮のボロ市に関する資料を展示をしていたのが印象に残る。
  アンケートでは柳田国男以外の研究者についても話して欲しいとの要望があり、次回も是非講演をお願いしたい。

拓本・考古部会共同開催
「縄文土器片の採拓及び拓本の表装」
令和7年4/27 5/6 5/11実施

参加者延べ33名(内、会員32名)
    50周年記念展開催期間中に市川市内にある国史跡の「姥山貝塚・曽谷貝塚・堀之内貝塚」を巡っ た方に「縄文土器片の拓本」をプレゼントするスタンプラリーを開催します。
そのために考古博物館にある縄文土器片を採拓し、採拓した土器片の模様を色紙に表装仕上げしました。
工程は、湿らした採拓用の和紙を土器片に貼り付け、墨を付けたタンポンで軽くたたくと縄文土器の模様が浮かび上がります。 模様を写し取った和紙が乾いたら、アイロンで和紙の皺を伸ばし、糊が付いた裏打ち用紙にアイロンで貼り付けます。 裏打ちした和紙を色紙の大きさにカットし、両面テープで色紙に貼り付けて完成です。約100枚程、表装仕上げしました。 是非、50周年記念展開催期間中に「姥山貝塚・曽谷貝塚・堀之内貝塚」を巡って、「縄文土器片の色紙」をゲットしてください。
今回の行事開催に当たって、考古博物館側と事前打合せをしていなかったために急遽、 採拓用の土器片を用意していただくことになりました事に対して、反省すると同時に考古博物館に対して改めて謝意を申し上げます。

拓本部会 野外採拓
「真間山弘法寺及び手児奈霊堂」
令和7年5月18日(日)実施

参加者18名(内、会員311名)
    真間山弘法寺・手児奈霊堂での野外採拓は、 数日前から天気が安定せず実施の判断に迷いましたが、参加者の心掛けが良かったのか、この日だけ天気に恵まれました。
 参加者は、一般の方7名を含め18名と例年になく多人数となり、経験者が指導に当たり、大変なごやかな雰囲気の中で実施できました。   なお、一般参加者の内2名の方が「友の会」に入会されました。

友の会講演会  山岸未来講師
「春町・南畝と笹屋うどんー浮世絵と黄表紙
『月星千葉功』を中心にー」
令和7年4月13日(日)実施

   参加者28名(内、会員27名)
  今年度の友の会総会後の講演会は、講師に山岸未来先生(市川歴史博物館)をお迎えして「春町・南畝と笹屋うどん―浮世絵と黄表紙『月星千葉功』を中心に―」というテーマで開催されました。
  資料の表紙は「笹屋屏風」頼朝公うどんを食するの図(歴史博物館所蔵)です。   江戸開府から100年を経た江戸中期、田沼意次の時代のこと。日本橋小網町と行徳を結ぶ行徳船が開通するなど、物流機能が向上して江戸の町が成熟すると、上方文化に劣らない江戸文化が花開きました。
  特に娯楽「@浮世絵A狂歌B戯作(黄表紙等の読み物)」が発展。多版多色刷りの浮世絵が1枚20文で購入できたとのこと(参考:幕末のそばは1杯16文)。
  この時代の立役者がNHKの大河ドラマで取り上げられている蔦谷重三郎です。浮世絵等の版元(プロデューサー)であり、耕書堂を経営。吉原細見(ガイドブック)から手習い本、黄表紙、狂歌本も出版しました。
  狂歌は社会風刺を盛り込んだ教養があるからこその作品、後述の南畝(なんぽ)がブームを起こしました。
  「南総里見八犬伝」などの読本や、滑稽本、草紙等に分類される戯作。恋川春町(はるまち)は、駿河小島藩の年寄本役という武士でしたが、戯作者でもあり、狂歌では酒上不埒(サケノウエ フラチ)と号しました。
  「月星千葉功」(つきとほし ちばのいさおし)は、行徳笹屋の由緒と千葉氏の妙見信仰を描く黄表紙です。石橋山から再起をかけて行徳にたどり着いた頼朝一行に、 うどん屋仁兵衛がうどんをふるまったお礼に「源氏の笹竜胆の家紋」から笹を賜ったことから笹屋を名乗ります。
    江戸名所図会や笹屋屏風に描かれた笹屋の看板の筆者といわれるのが大田南畝(なんぽ)です。蜀山人と称して漢文で随筆を執筆した勘定奉行配下の役人であり、狂歌を通じて蔦谷重三郎や春町と交流がありました。
  南畝は国府台や弘法寺、行徳を漫遊して随筆を著し、行徳では熱湯餅(うどん)を食したと書いています。版元、浮世絵師、狂歌師などの文化人同士が交流し、出版が発展した時代。身近な行楽地である行徳で笹屋のうどんを食べた彼らの交流が、 月星千葉功の出版や屏風絵の制作につながった可能性を考えることも面白い。
    講演終了後には、実物の浮世絵(美人画)やモノクロの読本を拝見することができました。参加者が持参した掛け軸の落款についても山岸先生は気さくに調べてくださり、まるで鑑定団のような一幕も見られました。

第25回縄文体験フェスティバル
令和7年3月23日(日)実施

    国史跡の堀之内貝塚や考古・歴史博物館がある国分地区の市民が集い、気軽に参加できる「地域 のまつり」が開催されました。当日は昨年とは打って変わり、晴天に恵まれました。ただ、いつもは満開になっているはずの駐車場の桜がようやく咲き始めたばかりでした。 来場者は主催者発表で、「850名」の方がさまざまな催しに参加し、楽しまれたようです。
 友の会は歴史博物館2階講堂で、拓本部会が縄文土器片採拓及び色紙に表装するまでの(後でご自分で表装する)実技指導教室を行いました。 歴史部会と民俗部会は歴史博物館入口で、友の会の宣伝並びにこれまで実施してきた勉強会や見学会の資料頒布を行いました。 興味を示した来場者の方に16部の資料を販売することができました。 考古部会は考古博物館の友の会コーナーで、展示している縄文土器や土偶の制作過程について説明を行いました。

拓本部会「表装」
11/3,11/24,12/22,
1/19,2/16,3/2,3/30
(いずれも日曜日実施)

  表装作業は、上記日にちの7回実施しました。参加者は、各回7〜10名で、各自がこれまでに室内あるいは野外で採拓した拓本を表装しましたが、 中には自身で所持していた掛軸の補修等を行われた方もいました。 また、山路先生より依頼された大森貝塚の記念碑(故村松ご夫妻が採拓)等大変貴重な拓本の裏打ちも実施させていただきました。   最終日には、参加者が各自の作品に対する思いを述べ、今年度の表装作業を終えました。

民俗部会 見学会
「旧行徳町妙典から大洲まで歩く」
令和7年3月20日(祝・木)実施

    参加者46名(内、会員36名)
     東西線妙典駅改札外側に集合。参加者が確認できたところで出発し、全行程徒歩で大洲防災公園経 由JR市川駅まで歩きました。行程は以下の通りです。
    【集合】8時30分、東西線妙典駅改札外側⇒妙典駅南側の公園へ移動⇒妙典の春日神社⇒妙典の八幡宮⇒妙好寺⇒江戸川水管橋⇒養福院⇒河原の春日神社・胡 録神社⇒行徳橋⇒姉弟地蔵【河川敷の各所にトイレ】【小休憩】⇒雙林寺⇒ 稲荷木の稲荷神社⇒一本松・延命地蔵⇒大和田の甲太神社【1次解散:希望者数名がバスで帰宅】
    【再出発1】大和田の甲太神社⇒大和田の馬頭観音⇒大洲神社⇒大洲防災公園【2次解散:希望者はバスで帰宅しました】【小休憩】
    【再出発2】大洲防災公園⇒北越製紙⇒宝神社⇒JR市川駅【解散】12時30分

      出発してまもなく、会員1名が車止め用コンクリートブロックにつまづいて転倒、右脚膝の皿を骨 折し救急車で休日救急病院に搬送される事故が発生しました。今後の見学会に何らかの対応が必要に なると思われます。
    事故対応者数名に事後措置をお願いし、見学会の方は予定通り進めさせていただきました。今回のコースに、とりたてて高名な神社・仏閣はないのですが、 「大正年間の江戸川放水路(現江戸川)開削工事で行徳町が東西に分断されたこと」「昭和30年に行徳町が市川市と合併するまでは稲荷木や大和田や大洲は行徳町であったこと」を視野において案内させていただきました。
 回収したアンケートでは、「妙典の町並みがよかった」「行徳可動堰に興味をもった」「大洲に市川競馬場があったことは知らなかった」などの意見が寄せられました。また、 大正年間の江戸川放水路が人工河川であったことに関心をもたれた方もいました。過日、歴史部会で行った「外堀巡り」や「お茶の水川巡り」に触れられている方もいました。

考古部会
「岩宿博物館にて石器づくり体験学習」
令和7年3月16日(日)実施

    参加者11名(内、会員9名)
  冷たい小雨の降る中ではありましたが、京成八幡駅に集合した8名と東武浅草駅で合流した1名は、 東武特急「りょうもう5号」で赤城駅に向かいました。赤城駅で2名と合流し、予約していた「電話でバス」2台に分乗し、岩宿博物館に向かいました。
  岩宿博物館では、学芸員の方に丁寧に解説をしていただきました。入館すると、正面に相澤青年が納豆の行商中に発見した槍先型石器が展示されていました。 「日本列島には旧石器時代はない」という、それまでの学説をくつがえした記念すべき石器です。
  館外に出ると、岩宿博物館の小菅先生に遺跡の案内をしていただきました。A地点は相澤青年の知らせを受けた杉原氏をはじめとする明治大学の調査団が現地に入り予備調査を行った地点。 杉原氏自身が新たにローム層の中から石器を発見し、相澤青年の報告が確認され、本調査に結び付いた地点です。 B地点は相澤青年が石器を発見した地点のローム層をはぎ取った土層標本が展示されている遺構保護観察施設(岩宿ドーム)となっています。
  午後から博物館友の会の石器作りサークルの指導ご協力を得て、いよいよ「石器づくり体験」を開始しました。石器作りサークルの代表の方が説明をしながら、 どんどん石器づくりを進め、15分もすると槍の穂先として利用する石器の形がはっきりとしてきました。 私たちも、なめし皮を膝の上に広げ、その上に北海道白滝産の黒曜石を乗せて、鹿の角で叩いて割りすすめます。 うまく当たると、薄く、細長く剥片をはぎ取ることができますが、空振りをしたり、思うように当たらずに形がいびつになったりすることもありました。  旧石器時代の人は実に高い技能を身に着けていたことがわかります。 石器作りサークルの皆様には、貴重な活動時間を私共の体験に割いていただき、感謝申し上げます。
  活動後のアンケートではすべての回答が満足となっており、「石器づくりという貴重な体験ができた」との声が届けられました。また、何年か後に実施したいと思う体験学習でした。

歴史部会 勉強会
「市川合戦と享徳の乱」
令和7年2月11日(火・祝日)実施

    参加者57名(内、会員34名)
  65名の応募があり参加者が57名を数えたことは喜ばしいことであった。「市川合戦」は「国府台合戦」と違い、まだ十分に知られていない。 新しい『市川市史歴史編V』では解説されている。  最近市川駅前のアイ・リンクタウン展望施設45階交流ラウンジに「市川市のあゆみ(年表)」が掲示され、そこに「享徳の乱」、「市川城の攻防」の記載がある。 次第に、市川市史のなかで中世の合戦にも関心が集まり始めたのかも知れない。当日は歴史博物館講堂にて、 配付した資料(A4,33ページ)をもとに歴史部会の河南幹事が約80分間の説明を行った。   内容:室町時代の中頃、鎌倉公方足利成氏(あしかがしげうじ、後の古河公方)と関東管領上杉氏が対立し「享徳の乱」と言われる関東大乱となった。 これより以後、関東は応仁の乱よりも早く戦国時代が始まる。 その冒頭の康正2年(1456)に市川城で大きな合戦(市川合戦)があった。籠城する千葉宗家や曽谷氏を足利成氏方の軍勢が攻めた。戦いの結果、千葉宗家は滅び、 生き残りである千葉実胤(さねたね)自胤(これたね)兄弟は武蔵国に逃れる(以後、武蔵千葉氏)。千葉自胤は新しい領地の経営に勤しみ、関東各地を転戦し武勇を発揮する。 やがて太田道灌の支援を得て下総奪還を図るなど、千葉自胤は千葉氏の生き残りをかけ、懸命に戦国の世を生きた。  会場からの質問は、さらに深掘りする内容を聞くものだった。アンケート(回収率94.7%)によると、70.4%が〈満足〉と回答し、 意見欄は「資料が充実していて説明も良かった」、「武蔵千葉氏や市川合戦について新たに関心を持った」、「分かりづらい室町時代のことが聞けた」、 「戦国を生き抜くエネルギーを感じた」など様々であった。 同時にご批判・不満の回答も有り、今後の勉強会や見学会の企画の参考にしたい。 なお、今回の勉強会終了後、一般の参加者の中から新たに1名の方が友の 会会員になられたことを付記します。

歴史部会 見学会
「江戸城外堀を巡る
その3〜水道橋から御茶ノ水界隈」
令和7年1月26日(日)実施

    参加者50名(内、会員35名)
  今回は76名の応募者がありましたので厳正に抽選させていただいた結果、お断りせざるをえない方が多数おられました。申し訳ございませんでした。
  天候に恵まれて、JR市川駅から水道橋駅へ。最初に訪れたのは水道橋駅近くの旅の神様「三崎稲荷神社」。会長の挨拶があり、見学会の安全を祈願し2班に分かれてスタートしました。 水道橋の由来が書かれたレリーフを見ながら、神田川を渡って、井の頭池の湧水を水源と書かれた神田上水説明板、江戸市中へ給水した神田上水懸樋跡で、神田川の変遷と神田上水について学びまました。 戻って神田川を渡り、皀坂(さいかちざか)を上がって駿河台崖の擁壁の前で、なぜ日比谷入江を埋め立てたか、神田山はなぜ開削されたかについて学びました。 ひとつは、江戸の人口増加対策のため、埋め立てを行ったが、下流で洪水が頻繁に発生したため、神田山を開削し、神田川の流路を東に変更した治水工事が行われたことを学びました。 その後、神田山の山裾を歩いて、露出した崖線(がいせん)を見学しました。
  夏目漱石が学んだ錦華小学校の卒業記念碑を見学して錦華公園で休憩した後、民俗部会の中幹事から神田の町名について学びました。その後、お茶の水の由来が書かれた「お茶の水の碑」、 天下のご意見番といわれた旗本大久保彦左衛門屋敷跡、太田道灌が娘の疱瘡回復祈願をした「太田姫稲荷神社」そして「御茶ノ水ソラシテイ」に到着。2班が合流し、軍艦山でニコライ堂をバックに集合写真を撮りました。 その後再度2班に分かれて聖橋を渡って学問の聖地湯島聖堂へ。戻って、淡路坂を下り、昌平橋、筋違門跡、旧万世橋駅跡を見学し、最後は全員集合して解散となりました。
   今回は、江戸城シリーズ5回目。アンケートの結果では、説明も資料もわかりやすく勉強になったとの感想が多く寄せられ、参加者の98%の方々から「満足」との回答がありました。 新たに3名の方が入会されました。

友の会 新春講演会
「大正から昭和初期の国分村について」
令和7年1月5日(日)実施

    参加者29名(内、会員28名)
  市川市は、市制施行90周年となりましたので、90年前の市川市を振り返ってみるテーマで、市立市川歴史博物館学芸員の小野英夫先生に講演していただきました。 大正から昭和初期の頃の国分村の人々の生活について、当時の地域の様子を記録した、郡誌・村誌・事務報告書・新聞記事・写真などを用いた講演会で、どこか懐かしい原風景的な村の画像に目が釘付けになりました。
   国分村は国分、曽谷、下貝塚、須和田、稲越の5大大字から成り、戸数515戸、人口3,175人で発足しました。職業は農業に従事している人が圧倒的に多く、 主な生産物は米、麦、エンドウ豆、ソラマメ、ネギ等さまざまで梨も栽培されていました。 小作争議も熾烈を極めていたなどまさに農村そのものの出来事が起こっていました。現在、当時を思いうかべる風景は梨園だけです。
  田んぼに囲まれた国分小学校は、今では市街地に囲われています。時代の移り変わりをまざまざと思い知らされた講演会でした。

民俗部会見学会
「隅田川七福神巡り」
令和7年1月3日(金)実施

    参加者45名(内、会員34名)
  8時30分JR市川駅改札内側に集合、参加者が確認できたところで出発し、亀戸駅で東武亀戸線に乗換えて堀切駅下車。 ここから徒歩で向島まで隅田川七福神巡りをしました。 冒頭、堀切駅前で会長が開会の挨拶、一般参加の方へ友の会加入のキャンペーンも行っていただきました。
【集合】8時30分JR市川駅改札内側 JR市川→JR亀戸で下車し、東武亀戸線に乗換→東武曳舟駅で東武伊勢崎線に乗換えて堀切駅下車→、 ≪ここから徒歩≫駅前で開会挨拶(桜庭会長)→@多聞寺(毘沙門天)→都営白鬚東アパート(防災団地)→榎本武揚像・梅若物語碑→ 隅田川公園及び隅田川神社・木母寺(ここで小休憩)→「下の道」碑→A白鬚神社(寿老人)→B向島百花園(福禄寿)(小休憩)→ C長命寺(弁財天)→D弘福寺(布袋尊)→E三囲(みめぐり)神社(大黒天・恵比寿天)【ここで流れ解散しました、12時半、約5.5km】
正月恒例の七福神巡りですが、今回は残念ながら正月晴れにならず、肌寒い曇天でした。でも雨にはならないようだから「良し」として出発しましたが、 最後のE三囲神社で霧雨となり、閉会挨拶の頃は冷たい雨が降り出しました。傘を用意した人も、用意しない人も概ね押上駅方面に向かったようです。冷たかった・・・。
今回の見学会は自然と行列が長くなったので、あえて赤信号の多いルートで時間調整して歩きましたが、空模様もあり先を急いだ結果、現地説明はかなり省略させていただきました。 幸い《トイレ》の多いルートだったので寒い中でもなんとか三囲神社まで到着することができました。ご協力ありがとうございました。
最終地でアンケートを回収しましたが、霧雨の中で手が冷たくて大変だったと思います。回収したアンケート用紙も雨に打たれたものがありました。
なお、途中C長命寺の芭蕉碑の前で急遽拓本部会に解説をお願いしました、ありがとうございました。

考古部会(市川考古博物館と共催)
「土器・土偶をつくろう」
令和6年 11/3・10・17、12/8(日)実施

    参加者31名(内、会員15名)
  縄文時代の火焔型土器や土偶は、国宝に指定されていますが、世界的に評価されるほど魅力にあふれています。 1週目は市川考古博物館の領塚学芸員による基礎知識を学んだ後、用土づくりを行いました。 粘土は市販の粘土に山砂を8対2の割合で混ぜ合せて練り上げました。 2週目は会員作成の土器や土偶を参考に形づくりを行いました。 3週目は磨きをかけ、充分に乾燥を経た12月8日に焼きあげを行いました。 天候にも恵まれ、1点も破裂することがなく無事に終えることができました。

民俗部会勉強会
「市川・松戸周辺の戦争遺跡を訪れて」
令和6年12月1日(日)実施

    参加者34名(内、会員29名)
  明治18年(1885)、陸軍省は、東京市内に分散していた陸軍教導団(下士官養成機関)を市川国府台に統合しました。 これを皮切りに陸軍施設が次々に国府台へ移転してきました。 国府台にあった陸軍施設については、過去の勉強会でもテーマとして取り上げてきましたが、今回は、過去の勉強会で紹介されなかった戦争遺跡として 「旅団坂」「実弾射撃場跡」「高射砲陣地跡」を紹介しました。
 一方、大正8年(1919)、松戸岩瀬の相模台にあった松戸競馬場跡地に陸軍工兵学校が造営されました。 今回は、陸軍工兵学校にゆかりのあった戦争遺跡として「鉄道連隊演習線跡」「松戸飛行場跡」を紹介しました。
 勉強会後、30名の方からアンケートが寄せられ、その内29名の方から「勉強会の内容に満足だった」との極めて高い評価をいただきました。 その中で特に興味を引かれたこととして、かつて松戸に陸軍飛行場があり、 そこが特攻基地であったことに驚いたとのご意見が数多く寄せられました。また、過去を知る手掛かりである戦争遺跡を消滅前に記録として残しておくことは 、勉強会の意義でもあるのではないかとの趣旨に対して賛同いただく貴重なご意見も寄せられ、 今後向けて大きな励ましとなりました。これからも身近なテーマを取り上げ、有意義な勉強会を企画してまいりますので大いにご期待ください。

歴史部会 見学会
「旧築地外国人居留地周辺を巡る」
令和6年11月23日(土・祝)実施

    参加者54名(内、会員44名)
  今回は多くの応募者がありましたが抽選をせずに対応することとし、2班に分けて行動することにしま した。勤労感謝の日の当日、時には強い北風も吹きましたが晴天に恵まれて、 参加した役員や歴史部会幹事の協力を得て無事に予定どおり見学会を実施することができました。   新橋駅をスタートし、ビルの谷間にひっそりと佇む鉄道発祥の地「旧新橋停車場跡」を最初に訪れまし た。復元された駅舎やプラットホームなどを眺めて、明治5年開業の当日、式典が盛大に行われるなか、 お召列車が新橋駅を出発したときの光景を想像しながら、文明開化の息吹を感じました。  その後、「銀座柳の碑」、「森田座跡」、「佐久間象山塾跡」、「海軍兵学寮跡・海軍軍医学校跡碑」 などを巡り、築地場外市場の賑わいを横目で見ながら「築地本願寺」に到着。境内の石碑類を見学し、 2班が合流して広場で集合写真を撮りました。その後伊東忠太設計の本堂に入ってしばし休憩をとり、 再び2班に分かれて旧築地外国人居留地の区域に入りました。 築地川公園ではさらに班を2組に分けて少人数で史跡巡りをしました。「浅野内匠頭邸跡」や「芥川 龍之介生誕の地」、「蘭学事始碑・慶應義塾発祥の地碑」、そして聖路加国際病院周辺の閑静な街並み を歩き、隅田川では対岸に林立する佃島・月島の高層ビル群に驚き、「築地外国人居留地跡」、「指紋 研究発祥の地」、「アメリカ公使館跡」、「トイスラー記念館」など外国人居留地時代の面影を辿りま した。そして再び築地川公園に戻り、そこで現地解散となりました。    今回の「築地外国人居留地周辺巡り」は、昨年までの5回(勉強会を含む)にわたった「横浜旧外国人居留地周辺巡り」を「鉄道」というキーワードで結ぶ見学会でもありました。    アンケートの結果の回収率は91%で、平坦なコースに史跡が沢山あり楽しめた、班を分けて少人数 で見学できたので良かった、説明も資料も詳しくて解りやすかった、などの感想が多く寄せられ、参加 者の98%の方々から「満足」との回答がありました。また、今回の見学会で新たに3名の方々が入会 されました。

四部会合同見学会 野外採拓
「柏井地区を巡る」
令和6年10月27日(日)実施

    参加者39名(内会員34名)
   市川市北東部の柏井地区にある、国指定の姥山貝塚は日本で初めて竪穴住居跡が完全な形で発掘され、140体を超える人骨も発掘されました。 また、地元民が大切にしている、馬頭観音堂や子安神社、日蓮や平将門、源頼朝等が通ったといわれる伝説の古道。 明治時代初期に造られた植草家の長屋門(赤門)は二階建てのベンガラ塗り (現在はペンキ塗り)が特徴ですが都市化が進む市川市においては、大変に貴重な長屋門です。また、地元の人たちが利用していたといわれる大柏川の浜道橋近くの船着き場等も見学をしました。  
 参加者は地元の方々を含め、こんなに身近な地元に貴重な建物や遺跡が見られたことに感動したとアンケートにも書かれておりました。

拓本部会 野外採拓
「碑の森 東金御殿山」
令和6年10月14日(月・祝)実施

    参加者12名(内会員11名)
  東金市の名勝八鶴湖や御殿山の由来となった徳川家康が鷹狩りの宿泊場所とした東金御殿山(現県立東金高校)の近くにある「碑の森」は地元石材業の小川家によって代々、 整備され建立された文学碑があり、詩人の白鳥省吾をはじめ、篆刻家、童話作家、宗教家、野鳥研究家、中西悟堂、幕末・明治の医師関寛斎、市川市名誉市民・学習院長麻生磯次等の石碑30数基がありますが、 数年前の台風 ・大雨による崖崩れ等で半数以上が破損してしまいました。また、石碑は大きなものが多く、一枚を  採拓するのにも苦労しましたが、それでも約10基が採拓できました。 また、機会があれば採拓したいと思います。 心配された天気予報は晴れでしたが、昼頃に雨粒が落ちてきて午後の採拓は止め、近くのお寺(最 福寺)で「切られ与三」の墓石を見学して帰りました。

拓本部会 勉強会
「碑文を読んだのは誰か?」
令和6年10月6日(日)実施

    参加者23名(内会員14名)
  以前、会津藩主保科正之の生涯を顕彰した、「土津(はにつ)霊神碑」を紹介し、これを読んだが、「当時の人はこの長文かつ難解な碑文が読めたのか?」ということを念頭に、 東金市の名勝八鶴湖や御殿山の由来となった徳川家康が鷹狩りの宿泊場所とした東金御殿山(現県  立東金高校)の近くにある「碑の森」は地元石材業の小川家によって代々、整備され建立された文学  碑があり、詩人の白鳥省吾をはじめ、篆刻家、童話作家、宗教家、野鳥研究家、中西悟堂、幕末・明  治の医師関寛斎、市川市名誉市民・学習院長麻生磯次等の石碑30数基がありますが、数年前の台風  ・大雨による崖崩れ等で半数以上が破損してしまいました。また、石碑は大きなものが多く、一枚を  採拓するのにも苦労しましたが、それでも約10基が採拓できました。また、機会があれば採拓した  いと思います。  心配された天気予報は晴れでしたが、昼頃に雨粒が落ちてきて午後の採拓は止め、近くのお寺(最 福寺)で「切られ与三」の墓石を見学して帰りました。 江戸時代の漢文学習について講演をしていただいた。 会津と言えば、幕末の会津戦争(白虎隊)が直ぐに思い出されるが、名君保科正之の生涯も知るこ とができて、大変に参考になりました。話の流れやまとまりがよく、分かりやすい説明でした。 江戸時代に漢文を読める人は極めて少なか ったが、漢文の歴史的背景と日本式の漢文の違いが分かり、おもしろかった。

民俗部会 見学会
「市川の山野辺の道を歩く(1)」
令和6年9月29日(日)実施

    参加者43名(内会員348名)
  京成国府台駅で参加者を確認できたところで出発し、江戸川土手の「市川関所跡」にて再集合。副会長に開会の挨拶をしていただきました。
 【集合】9時京成国府台駅→≪徒歩で移動≫→@市川関所跡→A市川電信電話創業の地の石碑→B 市川春日神社→C安国院→D黎明期のデイリーストア跡→E京成国府台駅の低空頭の高架→?大正通 り→G根本橋付近→?国府神社→I市川ルーテル教会→J入江橋→K真間の継橋→《休憩・集合写真 》→L手児奈霊堂→M亀井院と真間の井→N鈴木廟所→O郭沫若記念館→P須和田遺跡→Q須和田六 所神社【ここで流れ解散しました。13時少し前 約5.5km】  幸い猛暑も一段落し、雨も降らず、何よりでした。 今回の見学会の地域は大正時代に市街化したため道幅が狭く、 横並びでは歩きにくかったため自然と行列が長くなりました。また、各所々々の説明場所も狭く、いささか不自然なかたちでご案内させ ていただきましたが、事故もなく無事に解散地の須和田六所神社へ到着できました。 それでも、解散予定の12時30分をオーバーしてしまい、出発時間をもう少し早くすべきだったかもしれません。時間に追われたせいで、郭沫若記念館は概要説明だけで入館を省略しようとしましたが、 記念館の方の呼びかけもあり、やっぱり入館することになりました。板ガラス戸がある一間廊下の平屋木造建築や雪見障子は大正時代の風情があり、館内展示物と併せて貴重なものでした。 途中、国府神社に拓本部会が2023年に行った勉強会で扱った石碑があったため、拓本部会に急遽説明をしていただきました。郭沫若記念館でもKさんが石碑を前にエピソードをまじえた説明をしてくださいました。 ありがとうございました。 アンケートなどで「山の辺の道(1)の続きで(2)(3)もやってほしい」との声がありました。  留意したいと思います。

友の会 勉強会「古文書読解講座」
令和6年6月1日・15日、7月6日・20日、9月7日・21日、
10月5日・19日の各(土) 計8回実施 

    参加者26〜20名(内会員19〜15名)
  昨年度実施した「初級古文書解読講座」は、今年度は「初級」を外しての講座を実施した。 市川市史編纂事業で近世文書の解読を担われた、大津早苗先生に昨年に引き続き講師を担当していただいた。  勉強会で使用した古文書は、「旅行用心集」という現代でも通用する旅行時の心構えや注意すべきマニュアルが書かれた内容であったことから、 受講者に好評であった。市川歴史博物館所蔵の「松沢家文書 五人組御仕置帳」は、下総国葛飾群鬼越村の松沢家が保管していた古文書で、現在の京成線 鬼越駅周辺に存在したと思われる。旅行用心集は原文のコピーにもカナが振ってあることから、初心者でも取りつきやすく意味も理解しやすい内容であった。 松沢家文書は村役人が書き記した文書で、個人的な癖のある文字や申し合わせ事項的な記載方法を理解するのが難読であったとアンケートに書かれていた。 アンケート結果は概ね好評で、来年度も実施してほしいとの要望と参加したい旨が示されていた。
課題としては、ベテランで固定メンバーだけの講座になりかねない怖れがあり、友の会としては、広く市民に古文書の魅力を知っていただくのと、 さらに友の会への入会を促す目的もあることから、来年度の講座の在り方については、講師と友の会で相談しながら進めて行きたいと思います。

民俗部会勉強会
「江戸からやってきた蘭陵王」
令和6年7月14日(日)実施

    参加者21名(内会員18名)
  今回の勉強会の講師は市川歴史博物館学芸員福島千尋先生にお願いした。 映像を使いながら、先生のふるさと「加須」の地名の由来から始まり、読み方が難読漢字であり、 「かす」ではなく「かぞ」と読むとの説明があった。
  加須市には関東三大不動尊の不動ケ岡不動尊総願寺や 埼玉県・群馬県・茨城県が同一地区にある「三県境」、また特産品としてうどん、こいのぼり、五家宝があるとのこと。  
  今回のテーマである蘭陵王山車は加須市指定有形文化財となっている。 この蘭陵王山車はなぜ加須にやってきたかというと、 明治の初めころ日本橋辺りでは米が高くて手に入らず困っていた。 このことを加須の清水善兵衛氏が耳にして、困っているこの山車を作った3町に格安で米を分けたのが縁で加須に譲り渡されたのであった。 山車は舟積みで江戸川より利根川をさかのぼり、加須まで運んだ。 これが「江戸からやってきた蘭陵王」である。
  この蘭陵王は3年に1度加須市の夏祭り「かぞどんとこい祭り」で曳行または展示されている。 江戸山王祭りについても触れられ、 「山王祭り」とは日枝神社の祭礼行事であり、 日本三大祭りに数えられているほど有名な祭りである。 明治時代になると山車行列は次第に行われなくなった。しかし今でも佐原、川越、石岡などで山車を伴う祭礼が行われている。 今年の6月8日、久しぶりに江戸山王祭が開催され、 福島先生は朝から夕方までこの行列について歩き22kmを歩かれたとの事。 ご苦労様。
  なおアンケートの結果では参加者の95%の方から回答を得、ほとんどの方から「満足」・「分かりやすかった」との回答を得ることが出来た。

民俗部会 見学会
「行徳野鳥観察舎と鳥獣保護区」
令和6年6月29日(土)実施

    参加者26名(内会員18名)
  線状降水帯をかいくぐり、穏やかな梅雨晴れの一日となった。南行徳駅からバスで5分程 行徳高校で降り徒歩10分「行徳野鳥観察舎」に着く。
  初代 行徳野鳥観察の責任者 蓮尾純子(はすお すみこ)氏の講話は圧巻で、観察舎の歴史、当時の世情や状況、契機、仲間、その後の経過等、 女子高生の蓮尾さんのみずみずしい戸惑いと素朴で純なお話を伺えた。
  自然保護の市民運動を成し遂げた人ながら、私たち訪問者一堂に、 石粘土でひとつずつ手作りしてくださった野鳥のストラップをくださった。
 参加者のほとんどは、現「あいねすと」と保護区は初めて来た人々で、 環境のことを再度考えるきっかけになったとアンケートに答えている。満足度は81%満足。14%普通。不明5% 。  もう少し保護区散策の時間がほしかったとある。

民俗部会 勉強会「古代の東海道を訪ねて」
令和6年6月2日(日)実施 

    参加者52名(内会員32名)
  大化の改新以降、律令制による行政機構が整備され、都と地方との往来は7つの官道によって支えられていました。 このうち古代の東海道は、はじめ都から相模国へ向かい三浦半島から海路で上総国富津に渡って上総国府を経て常陸国府や下総国府に至る経路でした。 その後、海路を使う経路だけでなく武蔵国−下総国間に広がる現在の東京低地を通る陸路も重要視されるようになりました。 昭和22年(1947)に米軍が撮影した航空写真にはその道筋がくっきりと写し出されています。 その道筋は、隅田川東岸から鐘ヶ淵−四つ木−立石を経て江戸川西岸の小岩まで続いています。 勉強会では墨田から小岩間に残る古代の東海道の痕跡を訪ねました。 訪ねた場所は、隅田川神社・若宮八幡宮・大道橋跡・立石様・立石熊野神社・本郷遺跡・鬼塚遺跡・上小岩遺跡・井上駅推定地などです。  アンケートの結果、参加者の多くの方から好評をいただき、市川近辺にも古代の東海道とそれに伴う遺跡が残されていることに興味を持っていただいた様子を伺うことができました。 これからも身近なテーマを取り上げ有意義な勉強会を企画してまいりますのでご期待ください。

拓本部会 野外採拓「白鬚神社」
令和6年5月19日(日)実施 

    参加者13名(内会員9名)
  半数ほどの方が野外採拓は初めての体験であり、親子3人で参加された方もおりました。役員がそれぞれ補助として手伝いました。 拓本とは何か、また拓本の重要性も理解されたようでした。 天気予報では夕方から崩れるとありましたが、昼食後に雨粒が落ち始めましたので、作業は午前中で終了し、午後は向島百花園を見学しました。 花もきれいでしたが、「花よりも団子」ならぬ「花よりも石碑」に目を奪われて大変に参考になりました。

拓本部会 講習会A「墨・タンポの作成」
令和6年5月6日(月祝)実施

    参加者12名(内会員8名)
  拓本を採る際の必需品である、自分用の「墨とタンポ」の作成を行いました。  材料である、油煙墨とモグサは手に入り難く、また、値上がりもしており、入手に苦労しました。作業は和気あいあいと、楽しくできました。

拓本部会 講習会@「拓本を採ろう」
令和6年4月28日(日)実施

    参加者11名(内一般 2名)
  参加者は11名の中には、初めての方が4名(内、一般は2名)おられましたが、これらの方々には、役員をはじめ経験者が全員で指導に当たりました。 大変に和やかな雰囲気で実施できました。1名の方はご先祖の墓石の碑文を採拓されたいとの事で、積極的に博物館の庭の石碑の採拓にも挑戦され、 室内採拓と野外採拓の技術の違いを体験され、満足されたようでした。    次回の講習会A「墨とタンポの作製」にも4名の方は全員が参加されるとの事で楽しみです。

友の会第50周年総会
令和6年4月14日(日)実施

    参加者42名
    第50回総会は、椎名歴史部会役員の司会で開始しました。来賓としてこの度4月1日付けで着任された小笠原勝海考古博物館長より友の会に対する励ましのご挨拶を頂きました。 議長に選出された櫻庭会長の進行により、柳相談役が令和5年度行事報告、令和5年度会計報告を塩入会計が行いました。 平井会計監査員から監査報告がありましたが、行事参加費について資料作成に多大な労力と費用が掛かっていることから値上げをされてはとの進言がありました。 引きつづき令和6年度行事計画案、会計予算案が提案されまた、新役員が選出され可決されました。休憩を挟み講演会が開催されました。

友の会講演会
令和6年4月14日(日)実施

    参加者46名 (内会員 42名)
     今年度の総会の講演会は、講師が考古博物館の山路直充先生、タイトルは「海上交通をめぐる陸奥と関東−『続日本紀』養老六年閏四月乙丑条を中心に―」であった。  『続日本紀』には、養老6年(722)4月に地方豪族へ征夷の食糧となる稲穀の供出と陸奥国への運送が命じられ、翌年と翌翌年に13名の豪族がその命に従ったことが記される。  講演では、13名のうち出自が不明な12名について、藤原宮、平城宮・京出土の木簡や正倉院宝物の布の銘文、『万葉集』や『延喜式』を手がかりに、 関東地方の海に面した国郡の郡司層であり、多様な出自をもつこと、13名が私有する稲穀や海上輸送の力が多大であったことを明らかにした上で、 古代の陸奥と関東地方の関係に論及された。  内容は難しかったが、日ごろの山路学芸員の冗談めいた話と異なる、まじめな研究の話を伺うことができました。

縄文体験フェスティバル
令和6年3月24日(日)実施

    昨年は雨に降られましたが、今年は快晴とまではいかないが穏やかな日和に恵まれた縄文フェス テバルになりました。 この時期、歴史博物館に隣接する駐車場の桜が見ごろを迎えるはずですが、今 年はまだ蕾のままでした。
    縄文フェステバルは、国史跡の堀之内貝塚や考古・歴史博物館がある国分 地区の市民が集い、気軽に参加できる 「地域のまつり」として、また史跡の啓蒙と新たな地域づくり を目指して開催される春まつりです。
    フェステバルの内容は、堀之内貝塚ガイドツアー、火おこし体験、 弓矢で遊ぼう、縄文服試着、拓本をとろう、 竹細工コーナー、クテ打組紐体験、ワラ細工コーナー、 紋切りあそび、現代アート、キッチンカーによる食事提供が会場内で繰り広げられました。
    博物館友の会は、「歴史博物館1階玄関前・博物館友の会コーナー」で、友の会の紹介およびPR活動を歴史部会・ 民俗部会が行いました。これまで開催した見学会や勉強会の資料を頒布したところ、 42冊買い求められました。たった100円で購入できる超一級の内容の資料ですから、手にされた方はとても満足されたようです。 2階講堂では、縄文土器片の採拓及び色紙への表装実技教室を拓本部会が行いました。 表装用の色紙が65枚捌けるほど大盛況でした。考古博物館の友の会コーナーで は、これまで作成した土器や土偶の展示および友の会PR活動を考古部会が行いました。その成果と して、当日1名の方が友の会に新規入会されました。 当日、大活躍していただいた役員の方々、本当にご苦労さまでした。

歴史部会 見学会
「赤塚城跡を訪ねる」
令和6年3月20日(水・祝)実施

参加者43名(内会員34名)
    桜の花の開花宣言が近い春分の日。午前8:00にJR市川駅を出発して、9:15に地下鉄赤塚駅に到着した。 都内の地下鉄の駅から、中世の山城を訪ねる。地上に出ると鎌倉街道、道なりに辿れば、 江戸名所図会にある大堂と八幡社。南北朝時代以降に七堂伽藍を誇っていたが、永禄四年の上杉謙信の小田原侵攻の途中に焼き払われたと言う。 古刹・松月院に立ち寄り、武蔵千葉氏の墓を見る。
    説明板に、歴々と「市川城を逃れた」千葉氏宗家が、武蔵に拠点を構え、この寺を中興・開基したとある。 境内で併せて高島秋帆顕彰碑を見る。幕末の偉人であり、長崎の町人が西洋砲術を極め、 幕府の要請を受け徳丸原で実演した、その志の高さに感服しつつ説明板を見る。乗蓮寺で、東京大仏を見る。休憩と観光目的で立ち寄ったが、 大仏の大きさに感動する人も多かった。 江戸時代、富士・大山などへの霊山登拝者が水垢離場として利用していた不動の滝を見る。
    いよいよ、目指す赤塚城跡である。小山の中にあり、周囲は堀を兼ねた深い谷に囲まれ、戦国の雰囲気をひしひしと感じる 。説明板には、市川城を逃れた武蔵千葉氏の拠点であることを記している。
    麓の板橋区立郷土資料館で、赤塚の歴史、武蔵千葉氏の歴史、高島秋帆に関する説明をつぶさに見る。12:30、一旦解散し昼食をとる。
13:00に再集合、帰路につく。赤塚城の物見台跡、伝・鎌倉街道、諏訪神社、民俗行事・田遊びの説明板、赤塚城の防塁(沖山の塁)などを巡る。 天気予報通り、晴天から、にわかに曇り小雨も降る。 13:45に都営地下鉄・新高島平駅に着き、ここで最終解散。市川に帰ると、空には虹が出ていた。
    アンケートによると、9割の参加者が〈満足〉と回答され、 「赤塚と市川の関連に気付いた」「武蔵千葉氏のことを新たに知った」「普段行けない所に行けて良かった」「説明が分かりやすかった」などの回答があった。 ご批判の回答も有り、今後の見学会や勉強会の企画の参考にしたい。

考古部会 見学会
「特別史跡 加曽利貝塚」
令和6年3月17日実施

   参加者42名(内会員32名)
    コロナ感染前の2019年に加曽利貝塚見学会を実施したときには、前日に大雪が降り開催が危ぶ まれましたが、雪化粧した竪穴住居がとても綺麗だったのを思いだしました。今回は当初の2月開催 をボランティアガイドの人数がそろわないとの都合で3月開催に変更になりましたが、穏やかな日和 で寒くもなくよかったのではと思います。国の特別史跡に指定されている加曽利貝塚公園入口にボラ ンティアガイド5名の方が出迎えてくれました。参加者は、8人から9人の5グループに分かれ、コ ース別にボランティアガイドが懇切丁寧に案内および説明をしてくださいました。
    縄文時代中期に形成された北貝塚の竪穴住居跡が、発掘調査した当時のままドームに保存されていました。 南貝塚では縄文人が食べた貝の貝層断面が保存されていました。復元された竪穴住居内では火が炊かれれていて、 住居の腐食防止や土器で煮炊きをしていた様子が語られました。外は風がビュウービュウ吹いていたが、 隙間がありそうな茅の壁は風を通さず意外と暖かったことに驚きました。 博物館では出土した土器や人骨、加曽利貝塚の発掘の歴史や保存活動の経緯についての説明がありました。
    アンケート結果は、圧倒的にボランティアガイドがよかったとの声が寄せられていました。 加曽利貝塚に関する内容豊かな説明および案内にとても満足したと記載されていました。

友の会
初級古文書読解講座
令和5年7月8日〜令和6年3月9日 5回実施

   @令和5.7.8参加者29名(内会員23名) A令和5.9.9.参加者28名 (内会員21名) B令和5.11.11.参加者29名(内会員21名) C令和6.1.13. 参加者24名(内会員18名) D令和6.3.9.参加者13名(内会員10名)
    NHK学園通信講座の添削講師及び読売文化センター錦糸町で古文書講座講師や市川市史編纂事業 で近世文書の解読を担当された大津早苗先生により、5回に亘る「初級者古文書解読講座」を開催し ました。博物館主催の古文書解読講座はありましたが、友の会主催の古文書解読講座は初めての勉強 会です。江戸時代の市川市内村々の様子や村人たちの暮らしぶりについて、村に残された古文書を解 読しながら学ぶ、初心者向けの古文書解読講座で、「崩し字の読みやすさ」「内容」などを考慮して、 1回に1〜2点ほど取り上げて、どのように文字がくずされているかを学びながら、書かれている内 容を読み取り、後半は受講者が古文書を音読するまでになりました。アンケート結果では、難しかっ た方と比較的易しかった方が半々でした。古文書のレベルアップを図るために参加された方と初めて 参加された方とのレベルの違いかと思います。
    令和6年度は前半に4回、後半に4回の計8回の古文書講座を予定しています。初心者の方は懲り ずに参加していただき、博物館に展示されている古文書を読み下すようになってください。

拓本部会     「表装」
令和5年11/26、12/24 
令和6年1/28、2/18、3/3(各日曜)実施

   参加者7〜11名(内・初心者1名 見学者1名)
    表装の工程である、整形・裏打ちから軸装まで5回にわたり学び、採拓作品などを掛け軸にして鑑賞できる作業を行いました。 初心者の方も1名おられましたがベテランの方のアドバイスで順調に作業を行っておりました。 また、入会希望の方が1名、見学され、熱心に作業をご覧になられて、大変に興味を持たれたようでした。
    大変に残念なことですが、長らくご指導をいただいておりました名誉会長の村松勝美様が年末に急逝され、 部会員一同、悲しみつつも、ベテランの加倉井様・塩入様を中心に、ご指導のもと頑張っております。
 村松勝美様のご冥福をお祈りいたします。

歴史部会 見学会
「江戸城外堀を巡るA
〜市ヶ谷から飯田橋〜」
令和6年2月12日実施

   参加者52名(内一般19名)
   応募者が92名になったため急遽同じ内容で2回実施することにしました。
1回目、1月21日(日)の見学会は雨天のため中止となりましたが、2回目の今回は天候に恵まれ実施することが出来ました。
   歴史部会の江戸城の史跡巡りは、内堀2回、外堀1回と実施してきました。今回は4回目になります。
   都営新宿線本八幡駅から市ヶ谷駅へ。市ヶ谷見附交番裏の広場で会長の開会挨拶があり、「市谷門跡」を出発、 市ヶ谷橋下の石垣の刻印、南北線市ヶ谷駅構内の「江戸歴史散歩コーナー」で古地図と遺構を見学後、2班に分かれました。
   「茶ノ木稲荷神社」と太田道灌が西の守護神として祀った「市谷亀岡八幡宮」を見学して、紅白の梅の花を背に集合写真を撮りました。
「左内坂」を下り「定火消発祥の地」から「浄瑠璃坂」を上り、赤穂浪士が手本としたと言われる「浄瑠璃坂の仇討跡」から「愛敬稲荷神社」、 外堀通りに出て「新見附橋」を渡りました。 「国指定史跡・江戸城外堀跡」の土塁に植えられた松林の中を歩いて休憩後、 「牛込門跡」、「阿波守内の石」を見学し、 江戸時代から現代までの出来事が刻んである同心円状の石板を見学しました。 飯田橋駅の変わり様に驚いた参加者もいて、「飯田橋駅西口広場」の展望デッキから素晴らしい景色を見て感嘆の声を上げていました。 最後は、飯田濠の一部を復元した「飯田濠跡親水公園」で現地解散となりました。
   アンケートの結果でも、外堀のことがわかってよかった、資料が良く、説明もわかりやすかったとの声が多く寄せられ、 参加者の9割から「満足」との回答を得て、今回の見学会は好評のうちに終了することが出来ました。

友の会
新春講演会「中学入試の考古学」
令和6年1月7日実施

   参加者22名
   講師:市川考古博物館 松本太郎学芸員
   公立の小学校で習った歴史は、各年代の特徴や出来事、さらにその年代を代表する人物を紹介する 程度の記憶しかなかったことから、今回の新春講演会「中学入試の考古学」は、想像を上回る難解な入試問題だったことに驚くしかありませんでした。 小学生が難関校の中学受験をするには、年号や人物名を丸暗記するだけでは到底、受験資格すらないのを知りました。
   入試問題では、単に○×で答えるだけではなく、ショートアンサー形式の記述で答えなくてはならない設問もあり、 詰め込み教育だけでは済まないのを実感しました。よほど歴史に関する本がたくさんある家庭でないと図書館通いするしかないので、 大変な努力が必要です。ただ受験とは関係なく、歴史がどうしようもなく好きな「博士ちゃん」が存在するのをテレビ番組で見知っていますので、 彼ら彼女らからするとそれほど難解ではないのかもしれません。

民俗部会 見学会
新春恒例「柴又七福神巡り」
令和6年1月3日実施

   参加者50名(内会員34名)
   午前9時市川真間駅に集合し、京成高砂駅の駅前広場で櫻庭会長の挨拶があり、A班、B班に分け7つのお寺を巡りました。
   最初に観蔵寺へ行きました。観蔵寺から医王寺までは、当初の計画では「さくら道」を歩く予定でしたが、歩くと30分以上もかかるため、 北総鉄道を使うこととし新柴又駅で下車。 医王寺、宝生院、万福寺、良観寺、真勝院、題経寺を巡りました。題経寺では混雑が予想されるため真勝院でアンケートを回収し、流れ解散となりました。
   観蔵寺と真勝院に「北条氏と里見氏との国府台合戦で焼失した」旨の案内看板がありました。国府台合戦といえば市川地域や松戸地域を思い浮かべますが、 「へぇー、柴又でも合戦があったんだ」という感じの方がいたようです。アンケートでは「ほどよい距離だった」「近いけど来たことがなかった」という方が多かったように思えます。 今回の一般応募者は22名でしたが、桜庭会長の熱心な勧誘で6名の方が新たに会員になられました。喜ばしいことだと思います。

民俗部会 勉強会
「松戸街道に秀(しゅう)海(かい)講(こう)巡礼塔を訪ねて」
令和5年12月3日実施

   参加者24名(内会員20名)
   市川広小路から松戸角町へ至る市川松戸線(県道1号線)は江戸時代、佐倉街道の市川駅と水戸街道の松戸宿を結んでいた松戸街道とほぼ重なっています。
松戸街道沿いには今でも数多くの秀海講巡礼塔を見ることができます。
   秀海講とは明治43年(1910)に横尾秀海という人物が中心となって設立した松戸と市川北部周辺の手軽な88か所巡りのことです。
   勉強会では松戸街道沿いに点在する秀海講巡礼塔を中心に寺社や事物を紹介しました。アンケートでは皆様から好評をいただき、 特に市川市民にとってこのような身近なところにかつて88か所巡りがあったことへの驚きと興味をいただいた様子を伺うことができました。 これからも身近な事物をテーマに取り上げ有意義な勉強会を企画してまいりますのでご期待ください。

考古部会
「土偶をつくろう」
令和5年11/5・12・19、12/10日実施

   参加者24名(内一般14名中、小学生4名)
    縄文時代の土偶は、国宝に5点も指定されていますが、漫画的なキャラクターの特異性から若者世代から子供たちにも人気の「土偶ブーム」になっています。 今回も一般の参加者が多く小学生は4名参加しま した。1週目は市川考古博物館の領塚学芸員による基礎知識を学んだ後、用土づくりを行いました。粘土は古い用土と市販の粘土を5対5の割合で混ぜ合せました。 2週目は会員作成の土偶を参考に形づくりを 行いました。3週目は磨きをかけ、充分乾燥を経た12月10日に焼きあげを行いました。昨年は破裂する土偶が何点かありましたが、 今回は1点も破裂することがなく無事に終えることができました。

歴史部会 見学会
「横浜の史跡巡り(野毛山編)」
令和5年11月23日(木・祝)実施

   参加者39名(会員33名、一般6名)
    これまで、歴史部会では @「横浜港と馬車道・本町通りの博物館巡り」、A「旧山下外国人居留地巡り」、 B「旧山手外国人居留地巡り」の見学会を実施してきました。 今回は横浜史跡巡りシリーズ第4回目、「野毛山周辺巡り」です。 
   勤労感謝の日。 晴れ。 事前のキャンセル者はひとりもなく、応募者全員が定刻までに集合して、鉄道開通時の「初代横浜駅」である桜木町駅へ。  駅前広場で会長の開会挨拶があり、2班に分かれて出発。 「横浜の父」と言われる高島嘉右衛門のガス会社があった「日本ガス事業発祥の地記念碑」を見学、  「紅葉坂」を上り、丘の上の「神奈川奉行所跡」、 「金星太陽面通過観測記念碑」を巡り、「掃部山公園」では 「井伊直弼銅像」と 「横浜ランドマークタワー」を背景に記念の集合写真を撮りました。  その後、「横浜能楽堂」から「横浜道」に出て 「野毛の切通し」を通り、 「伊勢山皇大神宮」へ。 ここでは丁度新嘗祭の儀式が行われていました。 その後「成田山横浜別院延命院」に立ち寄り、 野毛坂の「亀甲積擁壁」を眺めて 「野毛山公園」に入りました。  公園の樹林区域では 「ラジオ塔」、「中村汀女句碑」、 「佐久間象山顕彰碑」を見学し、 入園料無料の「野毛山動物園」に到着。 引き続き「野毛のつり橋」を渡り、「旧野毛山配水池」と「ヘンリー・スペンサー・パーマー像  (近代水道発祥の地)」を見学して  公園の「展望台」に上りました。  眼下に広がる横浜港周辺の景色や 「横浜みなとみらい21」の景観は最高でした。 最後は野毛坂を下り、野毛の繁華街で 「美空ひばり像」を見学、 「日本近代水道最古の水道管」のある「野毛三丁目公園」で現地解散となりました。 
   アンケートの結果の回収率は95%で、天候に恵まれて野毛山を堪能した、詳細な資料で説明も良かったとの感想が多く寄せられ、 95%の方から「満足」との回答を得て、 今回の見学会は好評のうちに終了することが出来ました。
  
 ☆ 歴史部会のページに 写真入りで紹介してあります。

曽谷縄文まつり
令和5年10月8日(日)開催

 4年ぶりに行われた曽谷縄文まつりは、天候にも恵まれ5千人余りの来場者があった模様だと実行委員会から報告されました。
成功の要因はフリーマーケットを廃し、国史跡の曽谷貝塚で行う祭りの原点に立ち返ったからではとの総括がされました。 友の会は、拓本部会が曽谷貝塚から出土した土器片の採拓を来場者が行うのをサポートし、 考古部会は縄文食(アサリ、ジャガイモ)を土器で煮炊きし、300食以上が試食されました。 また、市長も視察に来られ、縄文食を試食されました。写真は、考古博物館の領塚学芸員より送られたものです。

拓本部会 野外採拓
「流山:赤城神社・光明院」
令和5年10月22日(日)実施

   参加者7名
    今年度の行事予定では10月15日(日)に予定しておりましたが、当日は赤城神社・「大しめ縄行事」祭礼との事で、10月22日に変更しました。 6月に流山諏訪神社で採拓を行いましたが、今回も同じ流山の赤城神社・光明院等で小林一茶の句碑等を中心に採拓しました。
流山寺には斗??(とゆう)の句碑がありますが、太平洋戦争中の空襲で被弾し、採拓には適せず、観察のみに致しました。 光明院・流山寺は法事が行われていたにもかかわらず、心よく採拓の許可をいただきました。
    また、当日は秋晴れに恵まれ、午前・午後ともに、各自で気に入った大小の作品を数枚採拓することができ、有意義な一日となりました。

四部会合同見学会
「国分地区を巡る」
令和5年10月29日(日)実施

   参加者39名(一般8名)
    小雨降る中での出発となりましたが、参加者は39名でした。初めに瓦窯跡・北下遺跡の説明を受けた後、国分城跡の櫓台を訪れました。 この櫓台は造園会社の私有地であり、普段は立ち入ることは出来ないのですが、社長さんのご厚意によりこの日は見学しやすいように通路も歩き易くなっていました。
   国分寺の仁王門前で記念写真を撮った頃には雨も止み、国分僧寺跡、伝国分五郎の供養塔、馬頭観音の説明があり、 七重の塔の礎石碑の前では拓本部会が実際に碑文を採拓した採拓紙を披露してくれました。 その後庚申塔、国分尼寺跡を訪れ、 最後に外環道建設時に、7000年前の丸木舟が発掘された雷下遺跡を訪れて解散しました。
   なお、アンケートには多くの感想が寄せられましたが、資料も詳しく、初めてみる箇所が多かったので良かった等のご意見をいただきました。   

拓本部会勉強会  
「石造物から見る市川の関所・渡し場」
令和5年9月24日(日)実施

    参加者29名(一般6名)
    小岩市川関所は、武蔵・下総両国を往来する重要な関所で、番所では厳重なチェックがなされていた一方で、百姓たちが耕作のために対岸に渡る渡し場も存在していました。     歴史博物館の山岸未來先生は、詳細な現地調査を行い、また講演では、当時の石造物や古地図等をプリントして、さらに鮮明な映像も使って話されました。地元市川の歴史、 特に旧街道と現国道、一般道との関連も理解でき、有意義な勉強会であったと皆さんから好評を頂き、感謝しております。        

民俗部会 見学会
「木下川薬師道と逆井道を歩く」
令和5年6月11日(日)
荒天の為中止

今後の実施については、来年度の行事として検討いたします。

拓本部会 野外採択 
「駒木諏訪神社」
令和5年6月4日(日)実施

    参加者8名
    5月14日(日)に予定していた野外採拓は天気が安定せず、延期しました。
    今回も台風2号の接近で実施が危ぶまれましたが、幸いにして前日から雨があがり、当日は天気の回復が予報され、実施できました。
    境内には文化勲章受賞者「北村西望」氏の雄渾な彫刻・自由闊達な筆跡の作品を中心に著名人による大小30余りの石碑が大事に保存されており、 参加者は採拓に適したものを選ぶのに迷うほどでした。
    当日は、お宮参りに来られたご家族が数組あり、大変に良い雰囲気でした。なかには我々の採拓作業を熱心に見学される方もおられ、拓本について説明をすると、 熱心に聞いてくださり、感謝の言葉までいただきました。私たちも気持ち良く作業を行い、大変に有意義な活動となりました。        

拓本部会  
拓本講習会
令和5年4月29日(日)実施

    参加者9名
    昨年同様に「初心者講習会」とせず、単に「拓本講習会」として案内しました。市川市の広報にも掲載しませんでしたので、参加者は多くありませんでした。
    採拓は、模刻板や古鏡裏面の採拓を室内で行いました。また、博物館の庭に設置されている石造物の採拓も行いました。
    模刻板や特に古鏡(銅鏡)裏面の採拓は錆により、模様が不鮮明な部分も墨やタンポを打つと鮮明になり、一種の感動を覚えました。 また、野外の石造物は、彫り込みの深い部分もあり、和紙が破れてしまい、改めて採拓の難しさを実感しました。
    採拓は、年に数回しか行えませんので、作業手順を忘れがちになるのですが、今回の講習会により、採拓作業の一つ一つを確認することができ、大変に有意義な活動になりました。        

友の会 第49回総会・講演会
令和5年4月16日(日)実施

   出席者33名
   4月16日の日曜日、歴史博物館二階講堂にて「第49回市川博物館友の会総会」が開催されました。 定刻の午後1時半より開始され、会長の挨拶の中で昨年度役員を担っていただいた2名と会員1名の御三方が 亡くなられことに対して哀悼の意が表明されました。
   総会議長には、会長が選出され総会は成立しました。Y副会長が体調不良のため出席を見合わせた ことから、K副会長が代わりに令和4年度行事報告を行い、つづいて会計より会計決算報告、会計監査による会計監査報告が行われ、 承認されました。つづいて令和5年度行事計画案、会計予算案が提案されて承認されたのにつづき、令和5年度役員が選出発表されました。 K副会長よりY副会長の退任挨拶が代読され、長年の功績に対して出席された会員より拍手が寄せられました。 なおYさんは今後も相談役として引き続き活躍していただくことになっています。
    休憩をはさみ、市川考古博物館学芸員の領塚正浩先生による『市川市にある国指定史跡とその活用状況』について、 講演していただきました。市川市には縄文時代の堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚と下総国分尼寺跡、 下総国分寺跡附北下瓦窯跡の5箇所が国指定の史跡になっていることから、千葉県内でも特筆すべき歴史ある地であることが述べられました。 とくに縄文時代の貝塚の分布密度が高いことと、利根川の下流であった江戸川と東京湾を望む国府台に国庁が置かれ、 国分寺と尼寺が建立されたことから極めて重要な要所だったことを示しているそうです。ただ残念なのは、 この重要な5史跡がまだ一般市民に広く認識されていないことから、その活用方法が今後の課題であるそうです。 講演会は16時直前まで熱心に行われ参加者一同の拍手で締めくくりました。

歴史部会 見学会
「小机城址を訪ねる」
令和5年3月21日(火・祝日)実施

    参加者42名(内、会員36名)
    桜の花が満開に近い暖かい日、午前8時に市川駅を出発して、9時40分にJR横浜線小机駅に到着した。 小机駅のホームから西を望めば、こんもり茂る森の丘が目指す小机城である。友の会会長の開会挨拶に続き、 歴史部会の担当者が、小机城址見学のポイントを解説した。
    歩くこと約15分、城への登城口に入る。登城の坂道を登りきれば土塁の上、下を見れば深い堀。 戦国時代の荒々しい城址に来た実感がひしひしと迫る。山城の縄張りのパーツである、虎口(こぐち:城の入り口)、 角馬出し(入口防御の仕組み)、食い違いの土橋(クランク状の道)、空堀(からぼり)などを見る。 本丸と言われている西の廓(くるわ)に入れば、そこには広々とした少年野球場。この城址は横浜市の公園でもある。 郭の端の方に近づけば、その先は深い堀が口をあけ、目もくらむ深さ。続いて、つなぎ郭、東の郭と廻る。 つなぎ郭は、電話の受話器の形をしている。なぜか? もともとは広い台地の削平地だったが、戦いが激しくなるに従い、 これを三分割しそれぞれの郭の間に深い堀を作ったものと言う。
    これらの郭群を全体的にぐるりと囲む長大な空堀があり、急坂を恐る恐る降りて堀底に立つ。昼なお暗い溝の中、 見上げれば矢玉の嵐が上から降ってくるような背筋が寒くなる気分である。かくて、中世の古城址の構造をつぶさに見学した。 東の郭のベンチとテーブルで小休止をとり、見学の皆様のご意見・ご質問を受け、なお小机城の歴史について資料を元に解説があった。 次いで、地区センターで小机城址の関連の展示資料を見学。小机城主・笠原氏が創建した寺・雲松院を訪ね、 笠原氏代々の墓石を見学した。12時40分ごろ、いっぱいの歴史興味を満喫し、快い疲労とともに解散した。
    アンケートによると、9割以上の参加者が<満足>と回答され、「山城の見学は楽しい」「堀の深さに驚いた」 「普段行けない所に行けて良かった」などの回答があった。ご批判の回答も含め、今後の城跡見学の企画の参考にしたいと思います。

考古部会
「岩宿博物館にて石器づくり体験学習」
令和5年3月19日(日)実施

   参加者10名
    当日は穏やかな日和で東武浅草駅から特急に乗りましたが、車窓には富士山と見間違う浅間山がまだ白く聳えていました。 参加者は特急列車内でそれぞれくつろぎ、赤城駅で予約した大型タクシーで岩宿博物館に到着しました。 相沢忠洋氏が1949年に関東ローム層の切通しから槍先形石器(黒曜石製の尖頭器)を発見したB地点にて、 博物館の学芸員が日本列島に旧石器時代が存在した事実について、見学者用ドーム内で詳しく解説してくれました。 岩宿博物館では名誉館長の相沢千恵子夫人が、相沢氏の日常の研究ぶりについて、発見した「槍先形石器」を前にして説明してくださりました。
    午後からはふれあい学習館で、岩宿博物館友の会・石器作りサークルの方から指導、手ほどきを受けて、 白滝産黒曜石を原材料にした石器づくりを行いました。参加者一人ひとりにマンツーマン指導していただき、 なんとか石器づくりを体験することができました。
    アンケート結果は岩宿遺跡や岩宿博物館での学芸員の先生及び相沢千恵子名誉館長の説明が丁寧で分かりやすかったとの評価。 石器づくりは、初体験ながらとにかく楽しくできたのが良かったと評価されました。

拓本部会
「表装」
11/27,12/25,1/29,2/19,3/5の各日曜日に実施

    表装の工程である裏打ちから軸装までを5回にわたり学び、採拓作品などを掛け軸にして鑑賞できる作業を行いました。 初心者の方も1名おられましたが、ベテランの方のアドバイスで順調に作業を行っておりました。
   例年であれば、午前・午後の作業で軸装までを完成させる事が出来ましたが、一昨年からの感染症予防の為、 活動が午前又は午後のみの作業となりました。例年は昼食時に質問や進捗状況の確認、ベテランからのアドバイスを受け、 和やかな雰囲気でしたが、その機会が失われて残念です。
   今年度も作業の進捗に差が出来てしまいました。完成された方がいる一方で、 完成までにさらに作業を必要とされる方もおられ、今後に課題を残しました。

考古部会 見学会
「黒浜貝塚」
令和5年2月26日(日)曜日に実施

参加者19人(内会員18人)
   当日は宇都宮線内での人身事故に巻き込まれてしまい、急遽京浜東北線で大宮まで行き、 大宮から折り返しの宇都宮線でJR蓮田駅に到着。バスで黒浜貝塚の文化財展示館には、20分遅れで到着すると、 蓮田市役所文化財保護担当の小林さん及びボランティアガイド6名の方々が出迎えてくれました。 電車遅延のことは知らなかったらしく早速、黒浜貝塚見学グループと展示館見学グループに分かれて見学を開始しましたが、 当日は北風が冷たく吹いていました。
    ボランティアガイドは学芸員並みの知識を有し、理路整然と展示物及び貝塚の案内説明を行い、または質問にも答えてくれました。 またガイドが一方的に説明するのではなく、参加者に質問を発し、回答を求めるなど創意工夫に満ちた見学会でした。 黒浜貝塚の名称由来は浜辺に砂鉄が多く含まれていたことから、黒浜と言われ、現在まで地名として残されてきたとのこと。 また「たたら製鉄場跡」が、市役所建設時に見つかったことから、平将門が関東を支配するに当たって 武具調達用にこの地の砂鉄で製鉄を行っていたのではないかとの説明に参加者一同、非常に興味を抱いたようです。
    アンケート結果では、関東平野のこの地まで海があったことや、VRやARなどの仮想・拡張現実の  画像がタブレットなどで、縄文時代の黒浜貝塚の生業や漁業の様子を見ることができたこと。さらにボ  ランティアガイドの説明が丁寧で分かりやすいとの評価が圧倒的に多く記されていました。

歴史部会バス見学会
「鉢形城跡と杉山城跡を訪ねる」
令和5年2月23日(木・祝)実施

参加者48名(内、会員42名、当日入会者3名を含む)   
   新型コロナ感染防止のため、過去2回延期された当該バス見学会が4年ぶりに催行されました。 歴史部会開催バス見学会としては、 令和元年2月開催の「八王子城跡・滝山城跡を訪ねる」企画以来の後北条氏城跡巡りとなりました。
    大型バスは8時前に市川公民館前を出発し、東京外環自動車道から関越自動車道に入り、車内では配付資料の解説が行われました。 事故渋滞が分かっていましたので途中休憩PAを変更し、当初予定時刻に嵐山・小川ICを降りることができ、 嵐山町の続日本100名城である杉山城跡に向かいました。ボランティアガイド4名が待機しているところにバスが到着し、 最初の城巡りが2班に分かれて始まりました。杉山城は築城に関する謎が多い標高95mの典型的な山城ですが、 横堀や横矢、馬出、土橋、土塁、虎口などが良好な状態で残っていました。
    杉山城跡を出発した後、バスは鎌倉街道を走り寄居町の鉢形城公園の駐車場に入りました。 そこの大型休憩施設で各自自前の昼食を摂りました。その後鉢形城ボランティアガイド3名と合流し、集合写真を撮影した後、 短時間見学班を含めた3班に分かれての見学となりました。鉢形城跡は埼玉県内城館跡では初めての国指定史跡で24万uの面積があり、 日本100名城の北条氏邦居城跡を歴史館を含めて、しっかり見学することができました。そして予定時間通り帰途につき、三芳PAで30分休憩時間を取り、 予定より早い17時過ぎに市川に着きました。
    アンケートによると、9割近くの参加者の方が満足と回答され、「城跡見学は楽しい」「築城の見事さに感心した」 「普段行けない所に行けて良かった」など、城跡見学の人気を再認識させていただきました。

民族部会 見学会
「日枝神社 大杉祭」
令和5年2月11日(土・祝)実施

参加者24名(内、会員18名)
    2月11日、京成バス停「国分」に10時半集合、日枝神社へ向かいました。神官・総代の皆様が大杉社前にて、 祝詞奏上・礼拝の儀式に参加出来ました。その後、櫻庭会長より挨拶を頂き、以後は「こんこん様(腹切さま)」〜 「国分寺」〜国分五丁目と国分四丁目の「庚申祠」〜「国分尼寺跡公園」「馬頭観音」〜「北下遺跡瓦窯跡」と廻りました。
    国分寺では、市内でも珍しい三面の馬頭観音と発掘調査で判明した下総国分僧寺の七重塔・金堂・講堂・ 僧坊・大衆院跡等の位置関係を確認、国分尼寺跡公園にても、発掘調査で判明した資料を基に各建物の位置関係を確認した後、 馬頭観音(9基)を見学、その後バス停「国分」近くの北下遺跡瓦窯跡発掘調査概報を基に、登窯跡を確認しました。
    朝方の気温は少し低めでしたが、風も弱く穏やかな晴天のもとでゆっくりと廻る事ができました。 アンケートの結果の回収率は88%で、76%の方から「満足」とのご意見を頂き、殊に市内でも、 知らなかった色々な行事・遺跡等を知る事が出来て良かったとの回答を多く頂きました。

     行事に際しての新型コロナウイルス感染防止に関するお願い
◎ 37度以上の方は参加出来ませんので、その場でお帰り頂きます。また、体調のすぐれない方は参加をご遠慮願います。 (当日不参加の方は「友の会携帯番号(090-9231-4383)」に直接ご連絡ください)
◎ マスクの着用は個人判断となりましたが、人数制限がなくなった講堂・会議室では、できるだけ着用をお願いします。
◎ 講堂内での蓋付きペットボトル等からの飲水は可能ですが、食事はご遠慮ください。
◎ 見学中は、私語は慎み、ソーシャルディスタンスを心掛けてください。
以上、ご協力宜しくお願いします。

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